ビーチボーイズやジェームス・ブラウンがかかるだけでうれしい。ベトナムの街を爆破する映像に合わせて、what a wonderful worldが流れる。音楽と戦争は、似合わない。
涙や怒りではなく、笑>>続きを読む
あまりにも先の読める展開で、おもしろさは感じなかったけれど、空中戦は手に汗握った。
冒頭の駅と汽車が、終盤で有馬稲子が汽車に轢かれること、山本五十鈴が汽車で東京を去ることとつながった。孤独を抱えたまま、汽車で去る。あまりにもきれいごとがなくて、つらかった。
痩せこけた多くの死体が、ブルドーザーで穴に落とされていく。現実に起こったこととは思えない、人間の尊厳が蹂躙された映像に呆然とし、目を背けることすらできなかった。ありふれた村で、起きた話。
この時代の、夫を亡くした女性の話はつらい。息苦しくなった。カーテンを閉める、カーテンを開ける、無言で家を出る。印象的で、野暮さのない別れのシーンだった。
女性が撮る女性、とても魅力的だった。きっと、「女性はこうあってほしい」という視点がないからだろう。汚くて、臭くて、自由で、孤独だった。
冒頭、食事中のそれぞれの顔、着物、桜、印象的なアップが多用されていた。岸惠子も吉永小百合も、美しかった。若い!という感じはなかった。今も前も、ずっと美しい。
笑った〜。セリフ、テンポ、ユーモアのセンスが最高です。「缶詰のタケノコみたいな顔」がMVP
映画のなかに、食事のシーンがほとんどない。ノーボディが謎の実を食べるところと、殺し屋が人肉を食べるところくらい。生きることは食べること、の裏返しで、「死」を撮っていることを示しているのだと思った。
「あなたは私を愛してるんじゃない。愛されたいだけ」。去りゆく妻を見送ったあと、妻の部屋のものを投げ、荒らすケーン。力を持ち、征服することを覚えてしまった人間は、自分の怒りや悲しみをコントロールできなく>>続きを読む
「第三の男」ってそういう意味だったのか。光と影、音でハラハラ感を演出していた下水道での追撃戦。撃たれてもなお逃げようと、生きようとするハリーの執念深さを表す、下水道の蓋をつかむ指。見つめ合い、うなずく>>続きを読む
笛の音を合図に物語が動き、笛の音とともに物語がおわる。Mが最後に訴えていた「男の生まれ持った醜さ」というのが作品のテーマになっているように感じたけれど、いまいち掴みきれなかった。わたしの勉強が足りない>>続きを読む
自分たちでも、何に怒っているのかわかっていないのであろう怖さを感じた。これが古くないということは、人間が成長していないということなのかも。
佐野周二の「昔の男」の価値観にはイライラしてしまったけれど、原節子の意思を曲げない感じがよかった。「お汁粉なら食べられる」と行ったお店であんみつを注文したり、ご近所に嫌味を言われても可愛がっている野良>>続きを読む
娘が嫁にいく話を何本も撮っている小津さん。描きたかったのは、結婚の良し悪しではない。大切な人の結婚を機に、寄せては返す波のように揺れる心だったのだろうと、この作品を見て感じた。「いつまでもこのまま、自>>続きを読む
「でも、無駄があるからいいんじゃないかな、世の中。僕はそう思うな」。ご近所のご婦人同士の無駄な世間話、子供の抵抗、惹かれ合う男女の無駄なお天気の会話ーー。おもしろかったな、無駄のモンタージュ。
母娘2人、友人関係、いつまでも続いてほしい「いま」にはどうしたって終わりが来る。生きるって、そういういくつもの終わりを受け入れていくことなのかもしれない。岡田茉莉子が最高にかわいかったな。
会話もシーンも、短文を重ねたリズム感のある文章のよう。無駄なシーンが一つもないと感じた。見ていて胸が苦しくなったのは、エディとサラのつながりが、とても壊れやすいものに見えたからだろう。それは、エディが>>続きを読む
最初はそんな感じが全然なかったのに…。鳥の狂気がひたすらに怖い。銃でもゾンビでもなく、ただの鳥にここまで怖さを感じたのは初めての経験。さえずり、羽ばたき音がトラウマになりそう。
合成は今からは考えられ>>続きを読む
話についていくのが難しかったけれど(登場人物の区別ができなくて少し混乱。時代背景も理解しないまま見始めた)、テンポの良さに惹きつけられた。ジアが美しすぎた。
女優さんたちが、とにかく美しい。この時代だと、女を男を立てるものとして描かれているのかと思いきや、妻がしっかり手綱を握っている描き方が、意外であり、心地よかった。ゴルフクラブをめぐるあきこさんの立ち回>>続きを読む