アニメなんて作ってくれてるだけで大感謝なはずなのに、モヤモヤ抱えてすみません。
遊郭編までは、かなり大ハマりしてたのですが無限列車編、遊郭編から好きじゃない絵柄があり、それが中心になったら嫌だなぁと思っていたら刀鍛冶編から自分の好みではない絵柄が多くなり、また原作の良さが活かされていない気がして離れてしまいました。
いつも追っていたufotable cafeのグッズも絵柄が好みでないものになってしまったので、買うこともなくなりました。節約になって良かったと思うことにしてます。
柱稽古編では、好きじゃない絵柄だけにとどまらず原作のテンポを無視した過剰な伸ばし方に辟易としてしまい、キャラ人気に依存してるのではないかとネガティブに制作を見てしまうようになりました。
鬼滅の原画展に行った時に感じたのですが、刀鍛冶編から片鱗が見られ、最終の無限城編で確信となることがありました。吾峠呼世晴先生自身の画力、漫画構成力が至高の域に達していた。
目の前にある実物の生原稿を、人が紙に描いた漫画の絵と脳が理解できない。実際の戦闘の一瞬をおさめた写真のようなものに思えてくるんです。
漫画と映像の大きな違いといえば、動きがあるかないかだと思うのですが、無限城編の漫画は、もうそういう違いの次元ではない。
動きの表現に制限があるはずの漫画でここまで凄まじい戦闘を表現できるのか、今でも何度読み返しても圧倒され感動してしまいます。
となると、生半可なアニメ化では満足できないんです😭
声優の演技が良いとか、戦闘シーンがすごいとかわかってます。でも、それは昨今他の漫画原作のアニメでもあります。
鬼滅の漫画のように、凄まじいものが存在するなら、アニメもその凄まじさをアニメならではで表現してほしかった。
刀鍛冶編、柱稽古編ではほとんどその期待を裏切られてきました(勝手に期待してるだけなのにすみません)。
最終話前まではもう本当に無理かもしれない…となってましたが最終話、2個いいところがありました。
①虎と龍から柱、、のシーン
②悲鳴嶼さんの無惨への攻撃シーン
①和テイストのタッチ、キャラクターの作画安定がすごく良かった!!
こういう風な漫画からのアレンジ、変更が良い
②原画展で一番圧倒されたのが19巻のラスト悲鳴嶼さんと上弦の壱の見開き戦闘シーンなので、それの期待が高まる今回のバッキバキの戦闘シーンは最高でした。遊郭編のクライマックス戦闘を思い起こさせるクオリティ。多分これ地上波じゃ魅力半減なんだろうな。
ただ、ほとんど他のは、そこにそんな時間割いて描く必要ある?!と引っかかるものが多かったです。漫画でのウエイト以上にしていないか?!と。全く漫画と同じであることを望んでいるわけではなく、変えるのは有りだけれど変えるなら形にして欲しいし漫画勢を圧倒させて欲しい。
無限城の背景とか、そこそんなリソース割く必要ある?と思ってしまいます。そこじゃなくないか?と。そこが無限城編の魅力でも根幹でもなかろうに、と自分は思ってしまう。
あと最後の大正コソコソ噂話…。
そこで煉獄さん持ってきたことに、商魂感じてしまい萎えてしまいました。
あのシチュエーション自体が作品の世界観から逸脱した謎空間ではあるかもしれないけれど、なんか、う〜ん、回想以外で声聞こえちゃうのなんか… 蜜璃ちゃんとのイラストグッズ販売するだけでなく、声まで出させるのがなんかモヤモヤしました。
自分は鬼滅の、代償の大きさを真摯に描くところが好きです。好きというと語弊を招くかもしれないですが。あれだけ頑張って悪に立ち向かった鬼殺隊の多くが失ってばかり。
大事な人も自分の体の一部も、それどころか自分の命すら。無惨ほどの巨悪を倒すのに無傷ではいられない、そのリアリティが好きだった。
どれだけ大事で、どれだけ生きていて欲しい人ですら踏みにじる存在がいる、それに嘆き悲しむけれど、そこで終わらず踏ん張って諦めずに頑張る、その姿勢が好き。
だから失ってしまった人を安易にキャラ人気で出すのは個人的には萎えてしまいました。
せっかく、善逸のあの真面目な表情で、これから先を思って涙目になって気分が盛り上がってたのにな。。