神山 『ルパン』が続いてます。これも最早古典になりつつありますけど、まずTVシリーズの方は言うまでもなくて。
―― 勿論、旧シリーズですよね。
神山 旧シリーズですね。これもアニメという、本来子供向けであると思われていたメディアに、ひとつの可能性を投じた作品ですよね。お色気もあって、大人の鑑賞に堪える作品を当時作っていた。ハードボイルドをやろうとしてたという事が、それだけでも十分語るに値するっていうかね。モンキー・パンチおよび、やっぱり大塚(康生)さんや宮崎さん達の功績が大きいんだと思うけれど、キャラクターが普遍性を獲得してるんですよね。『ルパン』のキャラクターって、ギリギリ、人間のプロポーションじゃないですか。
―― あんなに手とか足とかが細くても、ですね。
神山 そうです。人間のプロポーションなのに同時にデフォルメもされていて、ほとんど全世代がギリギリ、漫画絵としても許容できるんですよ。うちの親父やお袋の世代から、新しく見始める人に至るまで、「これは漫画絵だ」という事で許容できるんですよね。
昨今の、目玉が頭の3分の1を占めてるようなキャラクターがあるじゃないですか。「あのキャラクターのドクロを見つけるシーンがあったとして、どんなドクロを描くんだ」ってよく言うわけ。あのキャラクター達のドクロだったら、宇宙人の顔みたいなドクロが出てくるはずですよ。でも、多分、ドクロはちゃんとしたシャレコウベなんだと思うんですよ。それはおかしいんですよ。あそこまでデフォルメが効いているなら、椅子ひとつとってもね、あのキャラクター用の椅子をデザインしなきゃいけないんじゃないの、と。例えば、ちゃんと赤塚不二夫さんはそれをやっているんです。
―― 「バカボン」世界にあった椅子を描いているわけですね。
神山 そう。「バカボン」世界にあった椅子とかドアがあるわけ。だけど、今のアニメでは、キャラクターと背景が完全に乖離してるんですよ。
―― 顔の1/3が目玉のキャラクターがいる世界なら、それに見合った美術が必要という事ですね。
神山 そうです。だけど、そこは同じままじゃないですか。でも、『ルパン』のデフォルメは、それをギリギリ許容できる範囲内だと思うんですよね。まあ、そういう意味でも、絵柄で普遍性を獲得してる。アニメの中にハードボイルドというものを入れてるとか、そういう事が可能になったのは、『ガンダム』とは逆で、キャラクターを記号化する事によって色んな可能性を手に入れたからだと思うんですよね。どんなお話でも内包できると言うか、要するに「器」としての企画の成功でもあると思うんですよ。『ルパン』で色んな監督が演出をできたりとか、いまだに続いてるって事はやっぱり、入れ物としての企画の強度が高かったんですよ。そういう意味でも『ルパン三世』というのは、アニメ作っていく上でのひとつの指針である。そういう意味で『ルパン』というシリーズというのは非常に重要だと思ってます。
―― 『ルパン三世』のキャラクターが、デフォルメとリアルの両方を兼ね備えたデザインであるという事は、その後、様々なアニメーター達が『ルパン』を描きたがったという事と、関連しているのかもしれませんね。
神山 そうかもしれませんね。動かす上でトリッキーな事から、ある程度リアルな芝居まで内包できるキャラクターのデザインだと思うんですよね。これも重要だと思いますね。