映画ケーン

機動戦士ガンダム 水星の魔女の映画ケーンのレビュー・感想・評価

機動戦士ガンダム 水星の魔女(2022年製作のアニメ)
3.8
アメリカのお菓子みたいなアニメ。

まず、科学(ガンドアーム)の兵器利用が悪で医療利用が善って考えが古臭い。
医学の発展はそれ自体で人を不幸にする部分がある。医学が発展すると、増えるのは労働力にならない高齢者ばかりで、年金が増えて若者を圧迫し、製薬会社は儲けて富が増えるも一般人は貧しくなる一方、貧しい社会で子育てをしたくないし子供が不憫だと少子高齢化が加速。正しく今作で描かれた「貧富の差」は医学によっても起こる(それ以外の要因もあるけど)。
かといって「NO科学」「病院を破壊せよ」と言って団結してデモをするのは、倫理的、発展を止めたくない人間の性として、できないのが現在で、だから今が生きづらいんじゃないか! 「青年期の悩み」で生きづらいんじゃないのは強調すべき点。
安易な「科学の平和利用」で世界が丸くなる、ってメッセージはこの時代どうかと思う。

そもそも今の人は「科学が高度発達した文明」はリアルに感じられない。それが、ガンダムシリーズの下火を作っていて、だから「まだファンタジーの方が信じられるよ」ってヒットしたのが『進撃の巨人』だと思う。
「いや、医療=善ってリアリティラインの世界観なんだ」と言いたくなるかもしれないけど、そうやって細部を捨象するから今みたいな問題(資本主義の限界、高齢化、リベラル寡頭制…)が出てきたのであって、それが古臭いのだと言いたい。
(勿論、科学の発展を悪にしたがる傾向が強い文学そのものも不幸を生む。その両者を重ねて描いて、でも人を不幸にしてでも良い作品が作りたいと言ったのが『風立ちぬ』)

そしてその医学のもたらす厄災は、劇中でスレッタが人を殺すような”劇的”な面白さを伴っていないから、このアニメが「手早いハラハラや感動」を意識して作られているように、「手近な悪」として「兵器」が出てきてる、という物語の構造的な問題があると思う。深く考えない問題が物語構造にも現れてる。

キャラの顔を”物凄く”狂ったように描いて、ベテラン声優が震えながら怒り叫べば、それは鳥肌立つ上手い演技なんだけど、そこで描かれるのは「怒り」一般であって、そのシーンにおける怒りじゃない。だから抽象的な感情のやり取りが多い。作り手がこの「迫真の演技」に見惚れてしまって、そのシーンの適切な感情を描けてない。
死の描写をこれみよがしに見せて、安易な描写の積み重ねで、「手軽に感情を動かされたい」ための道具(アート、文学、作品ではなく)になってる。
こういうのがアメリカのお菓子っぽい。人工甘味料のニセモノっぽさ。

富野が「新人類」として考えたニュータイプがキャラの内面の苦痛を表現するストーリー的な道具に成り下がってしまった。富野が「物語」を超えて僕らの現実へ飛び出そうとしたのが、今作は最初から最後まで「物語」の中で終わる。

まあ、『ファーストガンダム』を観た時は「アニメすげぇ」って思ったけど、『デッドデッドデーモンデデデデデストラクション』で真面目にアニメを観るのがバカらしくなったから、もうこんなこと書かないだろうな。
映画ケーン

映画ケーン