抗うという行為に強く惹かれる。
たとえ勝ち目がなかろうと、現状が変わらずとも一矢報いてやろうという意志が無意味だとは思えない。
いや、無意味にさせたくない。
「どう生きるかではなくどう死ぬか」、でその人の人生が規定されるナイトシティでは乾ききった諦観が蔓延している。
そんな無味乾燥な世界でのし上がるには、力(権力•財力•暴力)を行使するほか選択肢はない。
そう、本作の舞台となるナイトシティは「スカーフェイス」や「ゴッドファーザー」等で描かれてきた、破滅の美学や繰り返される暴力の虚しさが詰め込まれている。
そんな世界であっても、いやそんな世界だからこそデイビットやルーシー、レベッカたちがそれぞれの大切なものを護りぬこうと抗う姿に心打たれた。
ナイトシティという巨大なシステムからそれぞれの大切な人を解放すべく、戦った彼らの人生は「どう死んだか」ではなく「どう生きたか」によって語り継がれるべきだ。
ラストシーンの描写はまさにその象徴たるもの。
たった一人の抵抗は微力で世界は変わらないかもしれない。
しかしそれは無意味であることと同義ではない。
誰かを護ろうと巨大な相手に抵抗したこと、その生き様が語り継がれる限り希望は決して潰えず、魂の尊厳というものは確かに存在し「どう生きたいか」という指標にもなり得る。
そんな抵抗することの意味や美徳を描いた作品だ。