このレビューはネタバレを含みます
限りなくドライな世界で繰り広げられる、いじらしいほどに純粋なラブストーリー。
キャラクターはみんな生き生きしていて、特にルーシーなんか好きになる要素しかなかったのに、その内面よりも世界観に浸ることにリソースを割いてしまったため、感情移入しきれない部分があったのが残念。
こういうアニメって、なんでもない日常回とか掘り下げがあればあるほど深みを増すのだろうけど、30分10話という展開の速さに追いつけなかった感は正直否めない。
デイビットがルーシーと出会ってから恋仲になるまでもハイテンポで、メインたち主要人物もこれからどんどん絆が強くなるのかと思えば次々と退場し、そしてデイビットの最期も呆気なかった。
少なくとも12話、欲を言えば24話欲しかった。
そう惜しんでしまうぐらいに素晴らしかった。
だがこのスピード感こそ、『サイバーパンク エッジランナーズ』もといナイトシティという世界がいかにドライであるかを表しているようにも思う。
そこで紡がれるふたりの物語。
デイビットとルーシーの恋は、あの擦り切れた世界において、あまりにも眩しく純粋で健気だ。
闇を知りすぎてしまったが故に、自然と望んだものは嘘のない心のやりとりだったのだろう。
しかし、ふたりがそれぞれの願いを叶えるためには破滅の道を進む以外になかった。
ルーシーは「デイビットと一緒に生きる」ために危険を省みず暗躍し、デイビットは「ルーシーを月に連れて行く」ことに文字通り命をかけた。
運命に翻弄されたのではなく、そうなる宿命だという生き方を選んだ者たち。
エッジランナーズ。
Edge――崖っぷちを駆け抜けたふたりの物語。
デイビットの通学路、月のクレーター、サイバースケルトンの載った装甲車を止めるシーン、アラサカの頂上、など何かのキワが象徴的に描かれるシーンが多い。
そこを超えると後戻りは許されない、「エッジの向こう側」へ行くことは、運命の歯車を自らの手で組み替えること。
ドクが「語り継いでやるよ」と言ったように、ナイトシティにおいては、生物的な命の軽さ故に、思い出や物語として継承される精神が「生きた証」として重さを持つ。
それは他人の夢を背負うデイビットの生き様にも表れており、またルーシーが月へ行ったのも、デイビットの夢を叶えるため――思えばデイビットがファルコに言付けした「一緒に月に行けなくてごめん」というセリフ、デイビットの本当の、最高の願いは「ルーシーと一緒に月へ行く」ことだったのだろう。だとすると、皮肉だがふたりの夢は共に叶わなかったことになる――である。
そういった「精神の継承」は太古の昔から続く人間の営みの根本であり、他の動物にはない、人間らしさの本質だろう。
『エッジランナーズ』は、デイビットとルーシーの恋物語を通じて、人間らしさの究極が描かれている物語なのだ。
テーマとして普遍的でありきたりのように思えるが、どんな時代においても、SFとは人間の物語であり、そうであるからこそ素晴らしいのだ。
余談だが、銀杏BOYZの『駆け抜けて性春』という歌がある。
♪あなたがこの世界に一緒に生きてくれるのなら
死んでもかまわない あなたのために
『エッジランナーズ』の世界観には似つかわしくないほどに青臭い歌だが、しかしふたりの生き様に重なるところがあるように見える。
♪あなたがこの世界に一緒に生きてくれるのなら
月まで届くような翼で飛んでゆけるのでしょう