※このMark!は、1話のみを見てリタイアした人間による『推しの子』に対する否定的レビューです。『かぐや様』とYOASOBIさんと『呪術廻戦』への批判も若干あります。自分なりに丁寧に書いたつもりですが気分を害されたらすみません。あくまでも書いた時点での感想です。
1話だけを見て、続きを見るつもりだったけど見る気になれないのでMark。大衆向けの人気作品を酷評することは気が引けるが、自分に嘘をつくことは出来ないし、書かなきゃFilmarksの意味が無いので書く。
僕にとって今作は生理的に受け付けない作品だった。細部がガサツで慮りが欠けた作品は『呪術廻戦』同様心の底から大嫌いだ。『呪術』と違って今作はコピーやパクリ感はなく、寧ろ流行りとオリジナリティを神がかったパズル力で組み合わせて構成した、大筋は完璧で究極なものだった。ただそれ以外の部分に誰も目を向けてないのが、展開偏重で良くないことだなと感じる。
流行りの作品にハマれないという事態に『呪術』を初めて見た時は焦りや恐怖を感じたが、最近は「自己がハッキリしてきたことの現れ」とポジティブに捉えれるようにもなった。そういう意味で今作のことは好きではないが、屈託のない感情で「見てよかった(1話しか見てないけど)」と思えている。
そもそも何が生理的に受け付けなかったのかでいうと、例えばネット民に対してキレるシーンなどなど。そのキレ方や反論の仕方自体がまさにネット民のそれで気持ちが悪かったし、表現したいシーンにもなっていなかったと感じた。わざととも思えなかった。
全体を通して言葉遣いがいちいち気取っていて変にも感じた。作品ではよくフリとしてこの先の展開を予見したかのようなセリフや出来事を挟んだりするが、今作でも「今死んだら転生出来んじゃね?」というセリフが入る。冷静に考えて見てほしいが、こんなこと本当に言うだろうか?「転生出来んじゃね?」なんて。そのセリフを展開の予見として採用して、主人公もそれについてツッコミを入れない、その上今作を見ている人が誰も指摘していないという三重の気持ち悪さを覚えた。主人公が心の中でツッコミを入れるだけで良かったのになぜこんな違和感のあるセリフを混ぜ込んでしまうのか。「転生なんて出来るわけないだろ」の一言でただの「ベタなフラグ」になって問題なかったのに。言わなそうなことを無理やり言わせてる感じを覚えてキャラクターの生を実感できないし、この生の実感は後の死んで転生する展開にも直結することだから、尚更しっかりしてほしかった。それにそもそも、妊娠してから「転生出来んじゃね?」はおかしい。言うだけでもおかしいのに、その思考に至ることが不可解。「転生」ではなくて「憑依/乗っ取り」だろう。思考回路じゃなく日本語の使い方がおかしいのだろうか。大まかな流れが決まった大作なのに、細かいところのリアリティがないのは正直見ていられない。神は細部に宿る。
他にも、「アマテラス」云々のやり取りがあった後に社長夫人と当たり前のように会話をする感じがきつかった。いったいどう思っているのだろうか。本気でアマテラスが宿っていると思ってるのか、そうではなく早熟だと思ってるのか、その辺りも違和感が強い。最後に「ウチの子にならない?」と言うが、なんだと思ってるんだろう。リークしようとした過去があるのに平気で大切に思ってますよ感を出すし、その感じで話を進められても見方がよく分からない。相手が子供だから舐めているのだろうか…そういう風には思えなかったが。そもそも「バレるだろ」って見てる人に思わせたらダメじゃないだろうか。ゾンビ映画に出てくる薄着で挑む人を見ている気分だ。見ていて「ちゃんとしようよ…」と呆れる感じ。他にも、「恐ろしい子…!!!」的なノリも続いてくんだろうなというしんどさ、天才紹介大喜利のしんどさもあった。星野アイの嘘についての語りとかがまさにそう。
これから先、お父さんが誰なのかを長々とやって、そのお父さんが本当に犯人なのかを検証し、犯人じゃなかった場合はまだ続くということなのだろうか。その間にスポーツ漫画的な一人一人の成長や挫折を描くはず。最後に子供が出来たりしてその子供が星野アイの転生体ってオチで完結とか?適当に言ってるだけだしこういう雑な予測は外れるものだが、先を想像するとしんどくて、見る気になれなかった。期待できなかったというかワクワクできない。
星野アイにどんな矜恃があろうが、「愛を知りたい」などと言おうが、16歳で妊娠するアイドルを完璧で究極のアイドルとは思えない。仮に「嘘を突き通すことが愛だし問題ない」という屁理屈を飲み込んだとして、現にファンである主人公には隠し通せなかったわけだからその時点でゲームオーバーだ。そもそもこの前提に対する疑問が拭えず飲み込むことは不可能。これを機に引退するということなら主人公の心境的にもギリクリアな気はするけど「それでもなおアイドルを継続すること」に主人公は惹かれている部分もあるし、やはりダメダメだ。世の中にはアイドルって職業におかしな部分があると分かっていながら、それでも目の前の全てに対して誠実であろうとし、真剣にファンと向き合ってる人だって絶対にいる。例えそこに矛盾があろうともだ。少なくとも、そういう人よりは格下だぞ、星野アイ。
事務所が杜撰なのも気になる点。妊娠させて殺されて…ちょっとありえない。その事に対して誰も言及しないのがこの作品の不可解なところ。現実と比較しての話ではなく、作中のリアリティラインが揃ってないという指摘。
キラキラネームを笑いとして使うのは胸糞が悪かった。毒親であることについて作中のキャラも見た人も、誰も何も言わないのは何故か。アニメだからキラキラネームをキラキラネームとして扱わないならそれでいい。キラキラネームとして扱うのであれば誰かが言及しなければ不自然。これもリアリティラインが揃ってないということだし、加えて現実に一定数存在する「親にキラキラネームを付けられてしまいそのことで苦しんでいる人」に対する慮りが無い演出に思えた。親、子供、出産、命、こういったものに対しての慮りが軽視されてる前提で構築された物語な気がして見ていられなかった。
「処女受胎に決まってんだろ」みたいなノリも嫌い。心底気持ちが悪い。処女性みたいなものを神聖視する前提も、逆に経験がないことを後ろめたいこととして扱う自虐的な感性も、全部生理的に受け付けない。どっちも等しく普通だろ。低俗で下らないお笑いの感性だ。
少し逸れるが、YOASOBIのアニメ主題歌も個人的には批判されて然るべき点があると思っている。端的に言ってあまりにも歌詞が作品そのまますぎることだ。果たして「表現」とはそういうものだっただろうか。作中の出来事やセリフのそのままの羅列でただ「言っただけ」になっていないだろうか。この事実を指摘している人はチラホラいて、その人に対してYOASOBIのファンは「元々小説を音楽にするコンセプトのユニットなんで」と言っていた。喧嘩になっているところを見たことがないので素敵なファンが多いと思う反面、反論にはなっていないとも思う。それって題材の範囲を搾っただけじゃないのだろうか。「そのまま」を含むコンセプトなのかどうかは字面だけじゃ分からないが、汲み取るとそういうことで、つまりは「そのまますぎる」を換言しただけってことになる。コンセプトに「そのまま」が含まれているとして、わざわざ「そのまま」をコンセプトに掲げる理由も意味もないし、そもそも「アニメの主題歌」だって「そのアニメで音楽する」ということだから、他のアーティストにもYOASOBIにも要求されることは等しいはずで、結果YOASOBIだけが「そのまま」を提出してることになる。(部分的に違う場合もあるし、他の全アーティストがそのままじゃないというつもりもない。)
要求されることは同じはずと書いたが、調べたら多くの場合アニメの主題歌でも原作小説を書き下ろして貰っているそう。それは違うんじゃないか。同じどころか贔屓してもらっているようにすら思うし「小説の音楽化」とはそういうことなのだろうか。「小説の音楽化と銘打ったからには一旦小説を経由しないと…」という「一貫性を取り繕った何か」でしかないと思う。「形骸化した小説をただ経由するだけの二度手間」だ。
要するに批判してるポイントは二点あり、①粗筋や概要をそのまま言ってるだけで「表現」じゃなくない?②そもそも「小説の音楽化」ですらなくなってない? ということ。②に関しては小説じゃないのに制作を依頼する側が一番良くないし、依頼されて「一旦小説を経由してくれたらやりまっせ」で請け負っちゃうYOASOBI(多分Ayaseさん?)も同じくらい良くない。
Ikuraさんの歌声は本当に好きだし、作曲に関しては最高意外の言葉が見つからないだけに、歌詞がこの有様で本当に悲しい。
「その作品をどう表現するのか」に興味があるから、今後はそうしてほしい。「アニメと無関係の歌詞の曲よりマシだ」という意見もあるかもしれないが、それは『るろうに剣心』の『そばかす』とかの話だろう。論点はそこじゃないというのは置いておいても、流石に昔すぎると思う。
念の為書いておくと歌詞のみに対する指摘だし、そもそもYOASOBIは好きだし、アニソンでも好きな曲は多いです。不満にさせたらごめんなさい。
2024/11/14追記
横槍メンゴ先生のこれ以前の作品のジャンル的に、絵柄を見るだけで下品に思えてしまうというのも星野アイへの印象の悪さに拍車をかけている。知らなければキラキラした存在にもう少しは思えていたのかもしれない。