ぜにげば

【推しの子】のぜにげばのネタバレレビュー・内容・結末

【推しの子】(2023年製作のアニメ)
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このレビューはネタバレを含みます

 1話だけを見て、続きを見るつもりだったけど見る気になれないのでMark。大衆向けの人気作品を酷評することは気が引けるが、自分に嘘をつくことは出来ないし、書かなきゃFilmarksの意味が無いので書く。
 僕にとって今作は生理的に受け付けない作品だった。例えばネット民に対してキレるシーンなど。気持ち悪いし、そのキレ方や反論の仕方自体がまさにネット民のそれで、表現したいシーンにもなってなかったと感じた。わざととも思えなかった。
 全体を通して言葉遣いが一々気取っていて変に感じた。作品ではよくフリとしてこの先の展開を予見したかのようなセリフや出来事を挟んだりするが、今作でも「今死んだら転生出来んじゃね?」というセリフが入る。いや、言う?言わないでしょ。「転生出来んじゃね?」なんて。そのセリフを展開の予見として採用して、主人公もそれについてツッコミを入れない、その上今作を見てる人が誰も指摘していないという三重の気持ち悪さを覚えた。主人公が心の中でツッコミを入れるだけで良かったのに、「転生なんて出来るわけないだろ」の一言でただのベタなフラグになって問題なかったのに。神は細部に宿る。言わなそうなことを無理やり言わせてる感を覚えてキャラクターの生を実感できないし、この生の実感って後の死んで転生する展開にも直結することだから、尚更しっかりしてほしかった。それにそもそも、妊娠してから「転生出来んじゃね?」はおかしい。言うだけでもおかしいのに、その思考回路に至ることがもう不可解。「転生」じゃなくて「憑依/乗っ取り」でしょ?思考回路じゃなくて日本語がおかしいのだろうか。大まかな流れが決まった大作なのに、細かいところのリアリティがないのは正直見ていられない。
 これから先、お父さんが誰なのかを長々とやって、そのお父さんが本当に犯人なのかを検証し、犯人じゃなかった場合はまだ続く。その間にスポーツ漫画的な一人一人の成長や挫折を描かくはず。最後に子供が出来たりしてその子供が星野アイの転生体ってオチで完結とか?適当に言ってるだけだが、先を想像するとしんどくて、見る気になれなかった。「幼い時に出会って共に生きる」しか、長期連載作品を見る活力は湧かないのかもしれない。これがおじさんってことなのかもしれない。まあ今作は小さい頃に見てても楽しめるタイプじゃないだろうけど。
 他にも、「アマテラス」云々のやり取りがあった後に社長夫人と当たり前のように会話をするが、いったいどう思っているのだろう。本気でアマテラスが宿っていると思ってるのか、そうではなく早熟だと思ってるのか、その辺りも違和感が強い。最後に「ウチの子にならない?」と言うが、なんだと思ってるんだ?リークしようとした過去があるのに平気で大切に思ってますよ感を出すし、その感じで話進められても見方がよく分からない。相手が子供だから舐めているのだろうか…そういう風には思えなかったが。そもそも「バレるだろ」って見てる人に思わせたらダメじゃないだろうか。ゾンビ映画に出てくる薄着で挑むやつを見てる気分。見てて「ちゃんとしようよ…」と呆れる感じ。「恐ろしい子…!!!」的なノリも続いてくんだろうけどこれもかなりキツい。天才紹介大喜利みたいなものも見ていられない。星野アイの嘘についての語りとかがまさに。
 星野アイにどんな矜恃があろうが、「愛を知りたい」などと言おうが、16歳で妊娠するアイドルを完璧で究極のアイドルとは思えない。「嘘を突き通すことが愛だし問題ない」という屁理屈を飲み込んだとして、現にファンである主人公には隠し通せなかったわけだからその時点でゲームオーバーだし、前提に対する疑問が拭えず飲み込めない。これを機に引退するってことなら主人公の心境的にもギリクリアな気はするけど、「それでもなおアイドルを継続すること」に主人公は惹かれてる部分もあるし、やっぱりダメだ。世の中にはアイドルって職業におかしな部分があると分かっていながら、それでも目の前の全てに対して誠実であろうとし、真剣にファンと向き合ってる人だって絶対いる。たとえそこに矛盾があろうとも。少なくとも、そういう人よりは格下だぞ、星野アイ。
 事務所が杜撰なのも気になる点。妊娠させて殺されて…やばすぎる。その事に対して誰も言及しないのがこの作品の不可解なところ。現実と比較しての話ではなく、作中のリアリティラインが揃ってないという指摘。
 キラキラネームを笑いとして使うのは胸糞が悪かった。毒親であることについて作中のキャラも見た人も、誰も何も言わないのは何故か。アニメなんだからキラキラネームとして扱わないならそれでいい。キラキラネームとして扱うのなら誰かが言及しなければ不自然。これもリアリティラインが揃ってないということだし、加えて現実に一定数存在する「親にキラキラネームを付けられてしまいそのことで苦しんでいる人」に対する慮りが無い演出に思えた。親、子供、出産、命、こういったものに対しての慮りが軽視されてる前提で構築された物語な気がして無理だった。「処女受胎に決まってんだろ」みたいなノリも嫌い。本当にキモい。心底キモい。処女性みたいなものを神聖視する前提も、逆に経験がないことを後ろめたいこととして扱う自虐的な感じも、全部生理的に受け付けない。どっちも等しく普通だろ。くだらない。低俗。
 細部がガサツで慮りが欠けた作品は『呪術廻戦』同様心の底から大嫌いだ。『呪術』と違って今作はコピーやパクリ感はなく、寧ろ流行りとオリジナリティを神がかったパズル力で組み合わせて構成した、大筋は完璧で究極なものだった。そこに関しては誰からも文句は出ないだろう。ただそれ以外の部分に誰も目を向けてないのが、展開偏重で良くないことだなと感じる。
 アカ先生の別作品『かぐや様は告らせたい』はそもそもが破綻した内輪ノリのじゃれ合いキャラ依存作品だった(個人的な意見です)。今作は良くも悪くも『かぐや様』と全てが対称的であり、『かぐや様』と同様に苦手な作品だった。流行りの作品にハマれないという事態に『呪術』を初めて見た時は焦りや恐怖を感じたが、最近は「自己がハッキリしてきたことの現れ」とポジティブに捉えれるようにもなった。そういう意味で今作のことは好きではないが、屈託のない感情で「見てよかった(1話しか見てないけど)」と思えている。
 少し逸れるが、YOASOBIの歌も個人的には好きじゃない。あまりにも歌詞がそのまますぎる。「表現」ってそうだっただろうか?作中の出来事やセリフのそのままの羅列で、ただ「言っただけ」だ。この事実を指摘した人に対してYOASOBIファンは「元々小説を音楽にするコンセプトのユニットなんで」と言う。いや…うーん…何なのだろう、反論として言っているのだろうか。だとしたら反論にはなっていないってことを説明するのに時間がかかりそうで苦しい。開き直ってる感というか、知ってましたよ感だけを置いていかれても困るというか…。それって題材の範囲を搾っただけじゃないのだろうか。「そのまま」を含むコンセプトなのかどうかは字面だけじゃ分からないが、汲み取るとそういうことで、つまりは「そのまますぎる」を換言しただけってことになる。何なら免罪符にしてて(なってないけど)タチが悪いとすら感じた。というかもはやネガキャンだ。コンセプトに「そのまま」が含まれているとしても、わざわざ「そのまま」をコンセプトに掲げる理由も意味も何も分からないし、そもそも「アニメの主題歌」だって「アニメを音楽にする」ということだから、他のアーティストにもYOASOBIにも要求されることは等しいはずで、結果YOASOBIだけが「そのまま」を提出してることになる。どういうことなのか本当に分からない。(部分的に違う場合もあるし、他の全アーティストがそのままじゃないというつもりもない。)
 要求されることは同じはずと書いたが、調べたら多くの場合アニメの主題歌でも原作小説を書き下ろして貰っているそう。意味不明だ。同じどころか贔屓してもらっているようにすら思うし、「小説の音楽化」とはそういうことなのだろうか。「小説の音楽化」と銘打ったからには一旦小説を経由しないと…という、「一貫性を取り繕った何か」でしかないと思う。喩えるなら、「形骸化した小説をただ経由するだけの二度手間ムーディ勝山」。長くて下手くそな喩えだなと思われるかもしれないが、喩えてないよりマシという皮肉のつもりで書きました。
 要するに批判してるポイントは二点あり、
①粗筋や概要をそのまま言ってるだけで「表現」じゃなくない?
②そもそも「小説の音楽化」ですらなくなってない?
ということなんだが、②に関しては小説じゃないのに制作を依頼する側が一番良くないし、依頼されて「一旦小説を経由してくれたらやりまっせ」で請け負っちゃうYOASOBI(多分Ayaseさん)も同じくらい良くない。Ikuraさんの歌声は好きだしメロディもめっちゃ好きだから気が引ける(今更)けど、歌詞を読むという当たり前の楽しみ方が行えないのは悲しい。
 個人的にだが、YOASOBIが主題歌を担うと聞いただけでそのアニメを見たい気持ちが少し減る。「その作品をどう表現するのか」に興味がある。所謂アニソンっぽい曲にするのか、ちゃんと表現するのか、それ以外の角度で来るのか…と。「アニメと無関係の歌詞の曲よりマシだ」という意見もあるかもしれないが、その曲は無関係なことに関して「表現」している(曲による)ので僕は好きだし気にならない。YOASOBIのアニメ主題歌は模造で無味乾燥。米津玄師は宮崎駿を涙させたが、YOASOBIにそれは不可能だろう。TikTokで狙ってバズらせるなどビジネスマンとしての才能は凄いのだろうが、アルゴリズムを攻略したことを創作と評価しては行けない。「それも込みで、現象も込みで凄いんだ」と寛容で優秀な人は言うかもしれないが、それは中身があってのことだと思うし、若者を正義とし過ぎにも感じる。
 もうYOASOBIには歌詞の無い曲を作ってもらいたい。そうしたら好きになれる気がする。
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