ピロシキNo10

忍風カムイ外伝のピロシキNo10のレビュー・感想・評価

忍風カムイ外伝(1969年製作のアニメ)
3.5
少し前に、TV版を購入。

子供時代あまり好きではなく、今まで見ないできたが、
30分フォーマットでの白戸三平作品として、最後まで充分に楽しめた。

放映当時は、暗さと怖さの区別がつかず、
途中から観るのをやめた記憶。
自発的に観るのをやめた初めての番組。 

裏番組はなんだったかな…。

古いアニメと言っても、大概は再放送やVHSで目にする機会があった訳だが、そんな訳で、五十年ぶり。

子供向けとしては不人気番組だったらしいが、後の71年に最終エピソード6話を編集した劇場版が公開。
形態としては、劇場版アニメブームへの布石みたいなものか。

ちびっ子は興味なかったすよ。 

この頃から、社会的な問題ってヤツは、
公害に差し替えられてしまうし、
これに前後してラブ&ピースのマークが日本に入ってきたと記憶…。
世の中が明るくなって来たのはこの頃から。

カムイはほとんど関係なかったカムイ伝本編から離れ、カムイを主人公にそえ再構築したのがカムイ外伝だと理解したのは、学生になってカムイ伝を読み直してから。
漫画カムイ伝は、衝撃以外のナニモノでもないので、若い人にも読み継がれて欲しいとは思うが、正直、読み伝えなかったのは自分世代かと思う。

自分が伝えられる50年前、はこんな程度。
ちびっ子には単純な世の中。

全然関係ないんだが、
自分が親に聞かされた五十年前のハナシなんていうのは、昭和一桁、1930年代。
再伝聞したい。  

ゴムが新素材で、プラスチックはまだない世の中だった。プラスチックの前はセルロイド。すぐ燃えたので、火事の原因だといわれ使われなくなったが、そもそも電気を引いていなければ、灯火は蝋燭かランプだったので火事も多かった。

昭和一桁生まれの子供達が見る大人たちは、大正デモクラシーを経た、とてもゴージャスな人たち。
モボ、モガの格好よさと言ったら、宝塚みたいなもんだった、と。 
その中に居た中国人女性の、手鼻をかむときの格好良さ。

そして通り向かいの朝鮮人部落。 



戦前も、早い頃は充分に豊かな暮らしも出来ていたとの事。  


母の兄はグレており、戦前にに満州に渡ったが、どう暮らしていたかは、母も知らない。召集され衛生兵として参戦し、
戦後はとても静かな人となった。


冬はもっと寒く、沼で市営スケート場が営業していた事。
正月が新春というのは、昔の1月はもっと暖かく、新春の言葉どうりだったらしい。


夏には、自転車で売りに来るアイスを食べ、皆が赤痢!になった事。
抗生物質は、戦後、進駐軍の物資がでまわるまで存在していなかった為、毎年夏になると赤痢が流行った等、すごいハナシばかりだった。

戦後のハナシはもっと面白いが、長くなるので別の機会に。