ねっしー

タブー・タトゥーのねっしーのレビュー・感想・評価

タブー・タトゥー(2016年製作のアニメ)
2.8
正義とは何か、をテーマにした作品。
しかし、「自己犠牲こそが正義」を結論としている点で、イシューの新しさがなく陳腐に感じました。

また、主人公が経験する過程や、葛藤を乗り越える決意など、全てが自己犠牲に収斂されていくため、一視聴者として本当に「自己犠牲が正義」で良いのか?と感じざるを得ませんでした。


これには、2つの要素があります。


1つは主人公が奮起する流れのために、メインキャラが殺される展開。

死というものが軽いんですよね。

死は身近にあるものだ、みたいなことではなく。
死が軽々しいんですよ。

主人公を動かす為に主要キャラを殺させる一方で、他のキャラはどう考えても死ぬ状況を軽く生存するので、余計に物語の都合で行き死にを操作している感覚が伝わってきました。

そのせいで作者の確固とした、死生観や殺人に対する感情、正義への意志が感じられません。

「自己犠牲こそが正義」という主人公の結論を引き出すために、他者の死(=他者の最大の損失)が軽々しく扱われていることで、主張の説得力を著しく減じています。


もう一つは、世界を救っても主人公は一切の報酬を得られないということ。
報酬があっては「自己犠牲こそが正義」に反してしまうからでしょう。

報酬は、お金でも、地位でも、親友でも、恋人でも、世界平和でも、独自の考え方でも、何でもいいんです。

何か物語を通じて得られることで、物語は幕を閉じられると思うのですよ。

ウディ・アレンの作品ですら、みんな何も得られていないようでいて、身の丈にあった元の暮らしが自分達にはぴったりだねって独自の考え方を得られています。

(原作では続きがあるので、色々得られるのかもしれません。ですが、この作品も一つの〈作品〉ですので、原作を物語の完結の悪さの言い訳にはできません)


こんな最終回ではカタルシスを得られないのは当然です。

全ては「自己犠牲こそが正義」が悪いのです。

主人公にとっての利益が得られないため、主人公は失い続けています。

それでも戦い続けていこうぜって主張もありですが、この作品はそこまで振り切ってもいません。

であれば、作中で主人公が失うものと得られるもののバランスは真面目に検討するべきでした。

主人公が失い続ける中で、周りが平和を享受する状況を放置することは、周りの人間にとって利己的な行動であり、主人公以外の人間は全て不正義ということになります。

奇しくもこれは敵陣営の幹部が、敵の親玉は利他精神旺盛で、主人公サイドは利己的な奴らだとする主張に似ています。

結果的にこの物語を通して主人公は形骸化された理念を獲得し、その他のものは何も得られない。

主人公の周りの人間は主人公の犠牲によって変化しないでいられる環境を享受する「不正義な人間」になりました。


本当に、「自己犠牲が正義」で良いのか?と感じざるを得ません。



あと、最終回の真面目なクライマックスシーンで、せっかくいい味出してたラスボス姫に「ちくしょー覚えてろよー」みたいな雑魚セリフ言わせたのはどういうことなのかとか、
殺し良くないって言ってきた主人公に「お前だけは俺が絶対に殺す」って急に言わせる展開はもう少し段階を踏めなかったのかとか、
色々あるけどJCSTAFFさんの脚本の粗さはこんなものでしょう。

『ストライク・ザ・ブラッド』とか、吸血シーンは好きだけど理解するの大変だしね。


あと、政権をとった時点で姫じゃなく、王女です。ちゃんと言葉の勉強をしておいてほしいです。
自分の妻をお嫁さんっていうキャラ並みに不快でした。
















でも作画と一話のアクションシーンは良かったです。
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