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チ。 ―地球の運動について―のtakefourのレビュー・感想・評価

チ。 ―地球の運動について―(2024年製作のアニメ)
4.6
凄まじいアニメだった。
アニメ化以前から話題になっていた原作は未読だけど、これに限っては原作の凄みだと断言できるくらいの言葉の完成度だった。

作者の魚豊さんって、ものすごい知性の持ち主ですね。
このマンガの連載が始まったとき23歳? 
終わったときは25歳?? 信じられない。

どれだけ学び続ければ、こんな珠玉の言葉を吐ける人物たちを創造できるんだろう。
どれだけ研鑽を積めば、こんな物語を書けるくらいの徳を得られるのだろう。

「地動説」を巡って気の遠くなるような時間をかけて連綿と受け継がれてきた「知」への欲求の物語であるだけでなく、人間とは?真理とは?を追求しつつ、科学の問題点、カトリックの問題点、資本主義の発芽とその問題点、原始共産制の利点、そして人類への警鐘まで説いて見せた。

人間とは社会的動物だと断じて、疑念と信念の二つを同時に持ってはいけないのかと問いかけ、アンビバレンツこそ人間の本質と見極め、この世の全てを知るには何を捧げれば良いのかと究極の命題を提示して終わる。
俗物の司祭がリアルでしたよね。

登場人物の一人ひとりが潔く信念に殉じて、彼らが吐く言葉の一粒一粒が含蓄があって深くて目がまわるくらい興味深かった。
全編がそんなセリフで溢れているんだけど、その中のひとつだけ書き記したい。
10話の冒頭だったと思う。文字を勉強し始めたという代闘士オクジーに傍若無人な修道士バデーニが言い放つ。

「大半の人間が読み書きできないのはいいことなんだよ。文字を扱うというのは特殊な技能。言葉を残すというのは重い行為だ。一定の資質と最低限の教養が要求される。誰もが簡単に文字を使えたらゴミのような情報であふれかえってしまう。そんな世の中、目も当てられん」

現代のSNS社会を皮肉ったセリフですよね。
こんなセリフが機関銃のように繰り出されて、好奇心を持って真理を探究しようとする人々を後押ししたかと思えば、返す刀で、探究心は歯止めが効かなくなる、全てを疑えと言ってきたりする。

ただし、これらのセリフが鼻についた方もいらっしゃったかもしれない。
理屈っぽく聞こえたり教条的に聞こえたり、場合によっては知識をひけらかす上から目線で鼻持ちならない物語に見える人もいらっしゃるかも知れない。
そういう意味では見る人を選ぶアニメでしょう。

このアニメに主人公はいない。
強いてあげるならば「地動説」、または「知への飽くなき欲求」だろうか。
全編通して登場するのは異端審問官のノヴァクくらい。
それ以外の人物たちは「地動説」を宗教のように拠り所とするも、協会正統派からの激しい弾圧を受け命を落としてゆく。

印象的なシーンも多い。その中で、たったひとつ上げるとすれば23話。
金儲けのために地動説を出版しようとして俗物司祭に取引を持ちかけた無神論者の少女=ドゥラカ。そこに乗り込んできた元異端審問官のノヴァクが火を放つ。
燃え盛る教会で傷を追ったノヴァクが、爆弾で弾け飛んだ排除対象異端者の腕を取り出して、25年前に異端とされた娘ヨレンタの手袋をはめる。
そして、死の間際に朝日を浴びて神を感じる無神論者の少女。
堪らないですよね。

きりがないので、最後に、無神論者の少女に叔父が授けた三つの魔法を書いて終わりにします。

一つ目。神は存在しない。神に感情の主導権も生きる意味も奪わせるな。
二つ目。考えろ。考えるために文字を学べ本を読め。考える過程に知性は宿る。それがあれば留まる勇気と踏み出す度胸が得られる。
三つ目。神無しの世界で考えていると信念が生まれる。これがあれば不安に打ち勝ち泣き止むことができる。例えば私の信念は「信念を捨ててでも生き残る」だ。

哲学的といえばそうかも知れないけど、知的な探究心を心ゆくまで満たしてくれる驚異のアニメだった。
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