なっこ

生きるとか死ぬとか父親とかのなっこのネタバレレビュー・内容・結末

生きるとか死ぬとか父親とか(2021年製作のドラマ)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

最終話
離れゆく背中へ
監督 山戸結希
お母さんの秘密をお父さんにぶつけることで、寂しかったお母さんの一面を自分だけの胸の内に抱えなくてよくなってはじめて、彼女はちゃんと父親と対峙できるようになったのだと思う。父親は、その寂しさがどこからきてるのか実は知っていたのに見ないようにしてきたのだろう。
娘って難しい。女でもあるから。女親の気持ちの方がずっとよく分かってしまうから。娘である前に女であること、自分の父である前に母の夫として許せない部分があったとき、どこまで男親に寛容になれるだろうか、とても考えさせられた。そして、私自身が全くこの部分に共感できないことに驚いた。私の母は全くこの女の部分を私に見せない、寂しい女の顔を娘として知らずにいられることはもしかしたら幸せなことなのもしれない。
“強い人じゃなくて強がりが上手な人”
口ずさむ雨の中のシーンはまるでドキュメンタリーのようだった。
強がりが上手なのはお父さんだったのか。父親の弱さを受け入れることができて、彼女はようやく父親を支えていく覚悟を決めたかのように見えた。

#11
不在とか 崩壊とか(人間とか)
監督 山戸結希

#10
母親とか 懇願とか(喪失とか)
監督 山戸結希
彼女の選択は絶対間違いじゃない。運命は、なんて酷な選択をさせたのだろう。私だって母親を選ぶ。

#9
過去とか 娘とか(真実とか)
監督 山戸結希
全く違う生い立ちだけど、私も彼女の息遣いを直ぐ近くに感じるほど共感してしまう、私もひとりの“娘”であるからだろう。

#8
恋人とか キャリアとか(後悔とか)
監督 菊地健雄
“何者かになる”を目指していた頃には考えもしなかった、何者かになったその後を。
自分を見失わないために役割があるわけじゃないけど、役割を生きることで考えたくない何かから逃げることは出来そう。誰かと一緒に生きるってなんなんだろう。

#7
不倫とか 友情とか(秘密とか)
監督 菊地健雄
立場はいろいろ違ってくる、それぞれの人生で。人生で譲れない主義は違っても、寄り添ってくれる友情がいちばん有難い。

#6
子供とか 夫婦とか (幸せとか)
監督 菊地健雄

#5
嫉妬とか 愛情とか (絆とか)
監督 菊地健雄

#4
時代とか 東京とか(面影とか)
監督 菊地健雄
街は変わっていく、どこも。でも東京ほどのスピードじゃない、私の居るところは。
『銀座百点』の冊子を親子で探して銀座を彷徨うなんて面白い。そんなアナログなことをするふたりが可愛らしくて良いな。

#3
美容とか 見た目とか (偏見とか)
監督 菊地健雄
いくつになっても自分を元気づける何かを求めるべきだと思う。他人のそれを暖かく見守るだけの余裕がある人でいたい。

#2
老いるとか 思い出とか (弔いとか)
監督 山戸結希
ゴミって言うな。私も一緒に怒りたくなって一緒に泣いた。断捨離大事だよ、でもねそれは生きてるうちにしないとね。死んでしまえば遺品の全てにその人が宿ってしまう。それをまだ知らないんだね、知らないで済んでいるんだよ。
葬儀場で棺を前にしたシーン、一度引いて端から父が登場してまた寄っていく…すごいシーンだった、舞台みたいに見てた。目撃してしまった気分。
でも、待って。“災害ゴミ”って言葉も被災者を傷付けていたのかもしれない。生活者にとって災害が起こるその日までは、家財の全ては主体的な消費の結果であり必要なもの。それが壊れて機能しなくなった途端にゴミ扱い。そういう切り捨てるような姿勢自体が問題なのかもしれない。もちろん私の中にもある、その感覚が。色々考えさせられた。

#1
結婚とか 独り身とか(裏切りとか)
タイトルロゴが出るまでの冒頭5分で完全に心つかまれた。
吉田羊×國村隼なんて贅沢。
原作はジェーン・スーさんの自伝的エッセイ。見てると痛いところを突かれそうで敬遠しようかとも思ってたのは事実。でも先を生きてる女性の言葉を聞けるのは貴重な機会と思って見ることにする。
ヒロインはラジオ番組『トッキーとヒトトキ』のパーソナリティであるトッキー。ラジオってメディアは良いよね。耳から得る情報って大事な気がする。声はとても親密度を増してくれる。距離感の近いメディア。

今日書評欄で見かけた「日本社会への言及もある。2世代同居の直系家族は揺るがず社会規律が安定しているが、未来に立ち向かう意思は「無」であり人口減を招いているという。家族構造だけに由来しない思想もありうるということか」*の言葉が私の頭の中でリピートして終わる。
*松原隆一郎評『エマニュエル・トッドの思考地図』
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