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しかたなかったと言うてはいかんのですのotomisanのレビュー・感想・評価

4.0
 観てるうちに別の「しかたない」が現れる。それは、捕虜米兵人体実験を裁く横浜法廷の鳥居助教授らの弁護人サマーズによる不誠実な弁護活動についてである。
 それは実験を主導した石井教授の自殺により死刑宣告を下すべき相手を失いさりとて主犯死亡のまま、実験の次席以下みな罪一等を減ずとして極刑を免れさせるわけにもいかず、いったい誰がそう望むのか分からないが「しかたなく」次席の鳥居助教授が死刑となる様に証拠採用と証言内容を操作したというものである。それが明らかにされた経過を見れば、その事を検証する検察役とサマーズの共謀は考えられないが、裁判当初の証拠採用に関して裁判官役とは事前の打ち合わせがあったと考えれば、死刑を既定の事として、それに照らして証拠を操作する事で裁判官と合意ができていたとも想像される。
 理不尽ではあっても「しかたなく」鳥居助教授は死ぬ事が求められ、それで何かが丸く収まると考えられたのだろう。その考えが強固なら果たして嘆願書は効力を持ち得たろうか?しかし、それでも1950年、事件の関係者は減刑が決まり、'54年には釈放されている。朝鮮戦争が起こるなどあって日本国民の感情への配慮も必要になっての事と言われたりもするが、何が本当だろう。
 裁判が事実を争わず政治の要請で人に死ねといい、また政治の都合により生かすという。サマーズ弁護人はそれを分かっていて夫人に握手を求めたのだろうか、印象深い。
 政治が操作可能なものを皆、駒としてしまうのに対して、鳥居は死刑判決に追い込まれる中で、立ち会った実験の被験者の実名を聞かされ、なにものであったか知らされる。駒も駒、野戦病院での応急医療上の知見を得るための捨て駒だった彼らの人である事を擁護しなかった事が心残りとなり、標題の通りの言葉を思いつめることとなるのだが、では、政治が一度は死ねといい改めて生きろと告げた鳥居という駒を一転一個の人であるとするのだろうか?それはありえない。死ねと告げた時の政治と生きろと告げた時の政治は置かれた状況が異なり同じ政治ではない。そして、政治は人なら人の価値を変える事はなく、時々の日本人のあるいは日本の時価に敏感に反応するだけである。日本の時価が上がった朝鮮戦争で鳥居が死ねばいい状況では無くなったか、あるいは死ねとの要請を無視してよくなってしまったのだ。
 そこで、物語が触れないもうひと方の事が思われる。それが実験で死んだ米兵の遺族たちである。ことさら、「しかたなかったと言ってはならない」と鳥居が告げるのは自戒を込めたことばかりではなく、死んだ者たちがただ死んでなど無く、遺族の記憶として、または語り継がれてそこにあるという事である。そこにある以上、「しかたなかった」と過去の事に留めるわけにいかないのだ。
 ならばどうすればよかったろう。実験の中止を求めて上司と西部軍にさらには憲兵隊とも対峙するべきだったのか、避戦派で早期の予備役落ちに甘んじたとはいえ海軍大将である帝大総長との困難な駆け引きを覚悟し職を賭すべきだったのか、最悪、罪科と引き換えの南方での軍医任官に甘んじる想像をすべきだったのか。同じ時代、風聞では歯に布着せず日本必敗を語り、労働災害と応急医療を講じたため治安維持法で検束された若月俊一のような例も知られているが、それぞれ異なる境遇で、全て終わった後で「どうにかしようがあった」、「ああしていれば」と本当に言えるだろうか。分かる気がするが「しかたなかったと言うてはいかん」と聞かされるのはただ耳が痛いばかりに感じられてならない。
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