ひば

北氷洋のひばのレビュー・感想・評価

北氷洋(2021年製作のドラマ)
4.5
船乗りこと文明からの逃亡者のみなさん!見当違いの努力をなさるみなさん!負けたのではなく自由になったと仰るみなさん!生まれたことを呪うような航海が始まるぞ!いかなる文明においても宗教は存在する。信仰は"思い込もうとする"段階を経ず人の認識システムの中に最初から組み込まれている。我ら人間は救いようがない、そして慈悲なき神々は我らの人生に悲しみの模様を織り込んだのだ。固体より空(くう)の方が外圧で内部爆発を起こしやすいことは想像すると簡単だ。神を考えるとき人の心に空は生まれる。
なぜ自分は存在するのかと疑問を持った者は神は存在するのかという疑問にもぶつかるようだ。脳は物語を愛するため出来事すべてを自分と結び付ける性質がある。特に自分に自信がないときには超自然的現象からメッセージを受け取るのだ。「特に意味はないことが重要なのだ、この愚かな行為に」この台詞は、馬鹿が生き残りやすいのではなく、理由はない=神頼みやお告げ含め自他に自分をコントロールさせない力が重要なのである。宇宙は数学的真理と共に生まれたように人は倫理と共に生まれてきた。善悪の基準は不変の真理に基づくものなのか。進化論は生命体の成り立ちを探るが、神学においては神が私達の肉体だけでなく倫理までも創造したと考える。倫理を植え付けたのは進化か神か。人の愛憎と結び付くオキシトシンが倫理の起源なら道徳心ある神か、協力し合う社会という進化の産物か、モラルある分子はモラルある宇宙にしか生まれないという神学、あらゆる適者生存に従ってきただけだという進化論。そして罪を裁くものは誰なのか、現在悪意よりも与えられた危害によって犯罪者を裁く傾向にある。殺意ではなく結果を、犯人の脳内を考えるより銃弾の穴を数えた方が簡単なのである。宝石を鏡にこすって鏡に傷が付くなら良い宝石であるように、人間も良い質のものは傷がつかない。遺品としてなら神の視線を感じず盗めることができるため神の元に送ろうとする者を人は悪魔と呼ぶ。執拗にしかし淡々とアザラシを追い詰め鯨の叫びで心臓の位置を的確に把握し勝利の血しぶきを浴びる者が悪魔なら、人を慰める余裕がないので伴侶や神父に頼めと言っていた医者に芽生えたのは道徳心という天使かそれとも悪魔の囁きか。誰かは独善と悪の消化試合とでもいうのだろうか。
わたしが苦手な死ぬ間際の声、『ミッドサマー』の内臓のどっかが潰れてるようなジョシュの声がわりとトップにいたけどこの作品では断末魔の叫びより穏やかで気力が消えかかってる諦観の声でそれも嫌だ。死の狭間にいる人間だけが持つサイレンまたは神の声だ。『海にかかる霧』のファムファタールがオムファタールになって『白鯨』やら『レヴェナント』やら様々な作品が垣間見える。
鯨のひげって何になるんだっけ、あ!コルセットか!ソーイングビーでやりました!昔矯正下着はかたいコットンとかでつくってたけどお腹をへこませ肩を後ろにひくコルセットの元ことステイズにはボーンが入ってて、漁業の副産物の鯨ひげは体温でしなやかになるバスクはステイズ前に。船乗りが愛する人への思いを刻み、ブラジャーの真ん中のリボンとかはバスクを紐で止めた名残だそうな。女性の魅力的カーブは悪臭と野蛮さから生まれるのだ。
人の労働で私腹を肥やすことでお馴染みのイングランドが頂点に立ち、証拠はスケッチで、製帆員が布で包んで水葬するシーン、アザラシなどからとれるラードを潤滑油代わりにレイプした等の憶測など時代と環境背景が独特で、人間の歯って生きるためには膿になるほど食い込むんだ…と戦慄もした。あんないけそうな氷の亀裂に挟まって死ぬ人生は嫌だな。医者はアヘン中毒だし…海と男、ろくなことがありゃしない。実際に北極で撮影したと聞いてすな!

参照
時空の彼方:生物の進化と神、悪の抹殺、神と人類
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