せーじ

舞いあがれ!のせーじのレビュー・感想・評価

舞いあがれ!(2022年製作のドラマ)
4.0
最後まで観ようと決めたきっかけは
「合かく」を願う手作りのけん玉
(この短歌は、舞いあがれ短歌投稿企画に参加した歌です)

※※

先程、最終回まで観ることが出来ました。好きなところが沢山あるドラマなのですが、正直なところ作品全体を思い返してみると、とても複雑な気持ちになってしまいました。「惜しいな」「残念だな」と思ってしまった部分も少なくなかった作品だったからです。
どうしてそうなってしまったのか、考えながら書いていきたいと思います。

■「出来なかったら、出来ることをば探せばよかとね」
この言葉が、この物語全体を通しての根幹となるテーマなのかなと思いました。「挫折と再生の物語」と銘打っているだけあって、全編を通してヒロインをはじめ主だった登場人物全員に様々な形で「失敗」や「挫折」をさせていくのが印象的だったなと思いました。しかもそこで話を終わらせるのではなく、そこからの「やり直し」や「それならどうするのか」ということを序盤から徹底的に向き合って描こうとしていたのではないかなと思うのです。
これは今の時代にとって、物凄く大切な考え方なのではないでしょうか。
インターネットやSNSなどによって様々な物事が見えるようになった結果、「炎上」がすぐに起こり、「一度何らかの形で"失敗"をしてしまった者は二度と立ち直ることは出来ないし立ち直ることは許されない」という考え方が、人々の根底の部分に流れてしまっているというのが今という時代なのではないかなと思うのですけど、この物語は「そんなことはないよ!」と主張しようとしているのだと思うのですよね。「失敗は悪いことじゃなか」とも祥子ばんばが幼い舞さんに語りかけていたように、そこで「終わりだ」と決めつけずに打開策を探って再生しようとしていく姿を骨太に描こうとしていたのだと思うのです。もちろんそれはとても難しく大変なことなのですけど、まずはその意識を持つこと自体が大切なのだと、この物語は描こうとしていたのではないでしょうか。
そういう意味では徹頭徹尾、最初から最後までこの「ばんばイズム」は、作品全体に浸透していたのではないかなと思います。その考えがあったからこそ、ヒロインたちは頑張れてこれた…というのが明確でしたし、遂には祥子ばんば自身が「ばんばイズム」に救われる姿も描かれていましたからね。それらをもって「この作品はここが素晴らしい」と自分は胸を張って言えますし、この要素が無くならなかったからこそ、視聴を完走することが出来たのではないかなと思うのです。

ただ・・・

■不安定で駆け足感が拭い去れなかった物語構成
ドラマ全体を思い返してみると、やはり全体の物語構成のバランスが不安定で、駆け足感が拭い去れなかったのが徐々に目についてしまい、終盤に行けばいくほど雑な詰め込み方をしてしまっているのが自分としてはとても残念でした。
ただし、多くの方々が不満に思っているであろう「複数の脚本家による構成」自体が悪かったのだとは自分は思っていません。何故かと言うと、批判が集中しがちである「航空学校編」は、その後の展開との対比として見せることで「ヒロインの夢の舞台=それまでの日常とは少し違う世界」として描かれているのだと読み取ることが出来、それはそれで面白い構成だなと思ったからなのです。自分が良くなかったのではないかなと思うのは、その後の展開と描かれ方でした。
「なにわバードマン編」があっさりと終わり、「航空学校編」へと急速に展開が進んでいた時は「こんなに駆け足で話を進めるということは、ヒロインが航空学校を卒業した先に、このドラマで本当に描きたいことが描かれるのではないだろうか」と思ったのですが、その部分を観ていくうちにどうやらそうだけどそうではないということが少しずつわかってしまったのです。そこには確かに"作り手が描きたいこと"があったのですが、その為に作り手が定めた"描かなければならない要素"があまりにも多すぎて、それらを網羅してしまったがゆえに、展開が駆け足になってしまっているように見えてしまったのですよね。その結果観ているうちに、こちらが観たいと思う内容から、どんどんかけ離れて行ってしまったように見えてしまったのです。"描かなければならない要素"の取捨選択も、後半に行けば行くほど巧くなかったのではないかなと思ってしまいます。登場人物全般の役割だったり配置だったりがどうしても足を引っ張っているようにも見えてしまいましたし、思い返してみて必要だったかなと思ってしまう登場人物やエピソードもあるように感じてしまいました。序盤の「幼年期編」や「なにわバードマン編」が素晴らしかっただけに、「航空学校編」が明けてからの後半の描かれ方がとても残念だったなと思います。

■"自己犠牲"と"やりたいこと"との境界線について
このドラマで描かれていた物語について「ヒロインは、自分のやりたいことを犠牲にして親のやりたいことを自分のやりたいことに置き換えているだけなのではないか?」という意見を持つ人が居ます。「パイロットで実家を支えるのも立派な親孝行なんじゃないの?問題」ですよね。ただ、そこはヒロインのマインドとしては、自分一人だけで「やりたいこと」に突き進みたくはなかったのではないだろうかなと自分は思うのです。「一人では意味がない」と思っていたのではないかなと思うのですよね。なので、従来のドラマで描かれてきた「親の為に自分を犠牲にして親の夢を継ぐ美談」というのとは、少し意味合いが違うのではないかなと自分は考えています。
この「自己犠牲」と「やりたいこと」との境界線があいまいになってしまっていて、「これはヒロインが望んでやっていることなのだ」と誰が観ても言い切れるような明確な材料が物語内で揃えきれなかったというのは、このドラマの大きな弱点のひとつなのかもしれません。同様に「恋愛」と「結婚」と「家族」の形をどう描き分けていくのかというのも、難しい要素だったのではないかなと思います。描き分けてしまうと、それらを「比較」したくなってしまう…というのが人間のサガですからね。良く言えば、舞さん、久留美さん、貴司くんの三人を三人とも「舞いあがらせたかった」と言えるのだろうし、悪辣な言い方をしてしまえば、「ハッピーエンドに泥を塗りたくなかった」と言えてしまえるのだと思います。本来は、ハッピーエンドにも様々な形があって然るべきだとは思いますが…それはこの制作体制では難しかったということなのでしょうね。

いずれにしろ、「朝ドラって難しいなぁ」とつくづく感じてしまった半年間だったのではないかなと思います。

※※

とはいえ、出演されていた方々の演技はとても素晴らしく、随所に光る部分があったのも事実で、自分としては絶対に嫌いにはなれない作品でした。
また、自分個人としては「短歌を詠む」という新たな趣味に目覚めさせてくれた作品なので、そういう意味では感謝しか無いです。
毎度毎度朝ドラが終わるたびに言っていますが、福原遥さんをはじめとした出演陣の新しい作品が観たいですね。
そして、桑原亮子さんが手掛けた新しい作品も待ちたいと思います。
(個人的には映画が観たいです)
せーじ

せーじ