無影

麒麟がくるの無影のレビュー・感想・評価

麒麟がくる(2020年製作のドラマ)
3.6
「信長は権力を得ると共に孤立していった」「光秀は、色々な勢力から背中を押される形で本能寺の変を起こした」といった総論の部分は、とても説得力がありました。これまでみたいに信長と光秀の関係や本能寺の変の原因をざっくり割り切るのではなく、戦国の乱世の中で糸が複雑に絡み合い、それらが相まって1つの事件を起こしたという描き方は、やはり群像劇たるドラマならではと思います。
しかし、肝心の各論の部分が靄がかかったようにぼんやりしていて、そこが惜しかった。
最初の美濃編はそこの部分も完璧でした。光秀が道三という圧倒的なカリスマの下で様々な人々と接する中で、麒麟が来る大きな世を作ろうと決意する。すべての要素がその1点に収束していき、ドラマとしても見やすかった。越前編も、麒麟を連れてくる者は将軍だと光秀が確信するに至るまでを描いており、これも良かった。しかし、その次の京~伏魔殿編から、話の軸が見えなくなりました。この章は、幕府の腐敗とそれに耐えかねた光秀が信長につくというあらすじなのでしょうが、肝心の光秀vs摂津の争いが、ただそういう争いがあったというだけで片付けられていて、光秀の心境にどのような影響を及ぼしたのかがよく分かりませんでした。コロナの影響か、合戦シーンもかなり少なかったですが、その分政争で魅せるということでもなかったですし……ただ2人のバトルが中身のないマクガフィンとして機能するだけで、拍子抜けでした。また、後の信長の変化に説得力を持たせたいからか、「光秀(信長)=正義、幕府=悪」という単純な二項対立の構図は採られていなかったのですが、その分、信長も幕府相応の悪行を重ねることとなり、光秀が幕府を見限って信長につく動機が判然としませんでした。その影響か、比叡山焼討ちの場面では、光秀の方から焼討ちを勧めており、それまで説得と調略によって戦をできる限りなくそうとしていた光秀自身の軸がブレる結果となりました(しかし、それについても応報などの形で明確な回収はなく……)。最終章も話ごとにぶつ切りで事実が綴られていくだけで、もはや物語としての連続性すら見えづらくなってきていたように思います。脚本の池端さんは「室町幕府の最後を描きたかった」と仰っていましたが、義昭に関してはお坊さんから将軍への心変わりの原因もよく分からず、彼が信長を嫌うようになった具体的な場面も描かれずで、どうしても幕府の最後にピントが合わせられていたようには思えず、かといって、信長と光秀の関係性に完全にピントが合わせられていたようにも思えない。最終的な印象としては、よく分からないボンヤリしたドラマだったなという感じでした。
しかし、キャストの皆さんはとても良かったです。
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