FranKa

燕は戻ってこないのFranKaのレビュー・感想・評価

燕は戻ってこない(2024年製作のドラマ)
5.0
鋭い眼差しで社会を見つめる、骨太の作品。

● 第一話:石橋静河さんの演技が素晴らしい。見ていて胸が苦しくなってくる。卵子はただの「物質」なのか。「生命」なのか。「人間」の境界と連続性について、考えさせられる。

● 第二話:貧困と「女性」であることのインターセクショナリティが大きな構造的動機づけとなり、代理母へと誘われるリキ。日本社会で「女性」として生きる際の、模範的テンプレートから「逸脱」すると、「間に合わなかった人」とみなされる。鑑賞後の後味がものすごく悪いが、それがひとつの日本の現実。

● 第三話:心の奥底では、基もその母も、相手が誰であれ、基のパートナーを「嫁」という名の、血筋継承のための道具としか見ていないことが、見てとてる。悠子は、それを内面化=自己洗脳してしまって、本当によいのか。人は他人の欲望を叶える道具ではない。

● 第四話:人工受精開始。人工受精の辛さを分かち合う者どうしなのか、悠子と理紀の距離も少しづつ縮まる。

● 第五話:理紀の人格を全く尊重せず、管理下に置こうとする草桶家。それに対する反発とはいえ、理紀の突発的な行動はどうなのだろう。他人の目的のために自身の身体が「使われる」状況だからこそ、突破的な行動によって、自分の身体を取り戻そうとしているようにしか見えない。

● 第六話:大人の利害や偏った価値観・欲望が暴走しすぎて、生まれてくる子どもの人格・尊厳を尊重する側面がほぼない。悠子ですら、過去に引きずられて、冷静な判断ができずにいるように思う。

● 第七話:黒木瞳さんの演技が、とにかく圧巻の回。振り幅が凄まじい。また、「子どもは遺伝子の奴隷ではない」という台詞… これを、基、お前が言うか?と視聴者を挑発するプロットが尖っている。

● 第八話:(1) どこからが「生命」なのか。どこからが「人間」なのか。登場人物のキャラを明確に立てることで、人がどのように人間を見つめるのか、複数の観点から問いただしているように思う。(2) 基のなかで、精神的にも自身の「遺伝子」を残せる可能性が見えてきた感じがある。(3) 《契約》を超えた、生命の尊厳を問う悠子。「親」になるということの、多義性について考えさせられる。

● 第九話:(1) 悠子は、「赤ちゃんのため」と言いつつ、他者が産んだ子の「親」になる覚悟がないだけではないか。母子の関係性は出産によってしか紡がれない、というイデオロギーは、実は悠子が一番強く持っているように思われる。悠子は、心地よい言葉を並べているが、結局《覚悟》が持てきれないのではないか、と感じてしまう。(2) リリコの春画作品に対する、リキのコメントは的を射ていると思った。ただし、悠子がリキに「基の妻になる」ことによる利益を、提案時にちらつかせたように、「男」に搾取されることと引き換えに、「女」が庇護を受けている側面もある、ということを指摘しなければ、フェアではないように思う。(3) 全体的に、人間のなかでも、最も自然的な営為と思われる、出産・育児を、《社会契約》に代替できるか、を問う非常に尖った社会的作品であると思う。(この主題に向き合う覚悟のある人が観るべき作品だと個人的には思うので、あまり人には観ることは進んでは薦めないが)次回も楽しみ。

● 最終回:最後までそれぞれのキャラクターに「クセ」があり、そして主題も独自性があり、終始惹きつけられる作品だった。(1) 「性」や出産・育児は、人間の生活のなかでも、最も自然的・動物的・超理性的な営為ともいえ、関わったそれぞれの人たちが、選択に際して最適解を探り出してゆくほかないことを、(極限事例をつかった誇張したかたちではあるが)ありありと描いていたように思う。(2) 本作品の誰に共感をもち、反対に誰の言動に怒りや苛立ちを覚えるかで、視聴者自身の「性」にまつわる規範や常識;思い込みを炙り出す、メタメッセージをももつ作品だと思う。例えば、「私は(産む)機械ではない」「(出産に際する)痛みをわかってほしい」というリキの声は、生態的には出産が不可能な、身体的に男性のパートナーや、出産の大変さを「ナメている」ように一見みえる人たちに届いてほしいと、母たちが思う声を、代弁しているようにも思う。
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