LGBTQのコミュニティの日常の悲喜交々を描く事で、コミュニティを中心にその外へと広がりが見えてくる作りになっている。実態としての社会という枠組み、そのコミュニティも社会の一部であり、生活であり、LGBTQとシス・ジェンダーのヘテロ・セクシャルとの境界線が、ハッキリと区別できるものではない事も示す。
第一話
父親が息子を鞭で叩くシーンは、奴隷制の時代を彷彿とさせるだけでなく、差別されているからといって差別していないとは限らないということを示しているのではないだろうか。
映画『フラッシュ・ダンス』オマージュ、映画『ブレックファースト・クラブ』へのオマージュなどがみられる。
第3話
デイモンがいる事で、ボールとバレエというストリートと権威というカルチャーの持つ二つの側面が描かれている。
第4話
LGBTQコミュニティの中でも、男尊女卑的な言い回しがあり、それは金銭を持っているかいないかという部分が大きい。
第6話
身体的なジェンダー観と個人の認識におけるジェンダー観と社会的なジェンダー観の違いの話。
第7話
エレクトラの“完全な女になった”というセリフ。ここには、性別というモノが、身体的な意味合いと社会的な意味合いの二つがある事、そして最終的には個人的なものであることを浮き彫りにする。