なっこ

高嶺の花のなっこのネタバレレビュー・内容・結末

高嶺の花(2018年製作のドラマ)
3.1

このレビューはネタバレを含みます

格差恋愛

純愛

そんな言葉で飾られるドラマだったのかもしれないけれど、私には、女性を主人公としながらも、現代に“父性”を取り戻す、そんな気概のある物語に見えた。

物語の筋は、演劇的な世界。華道家の跡目争いとして描かれているけれど、お家元を一国のあるじと見立てれば、戦国時代のお家騒動ようにも見えてくる。出生の秘密や不倫、裏切りや策略、そういうことは古今東西どこにでもありそうな装飾にも感じられる。ドラマらしく美しお花や豪華なセット、遠景でも美しいロケーションなど、絵になるショット満載で十二分にそれらを堪能したけれど、舞台でも見せられる内容ではある。

「私はお花」

素敵な言葉だ。

私には、“私はわたし”という全肯定の言葉に聞こえた。母チエコの言葉に救われるもも。実父ではないお家元は、やがて自らの才能を脅かす大きな脅威となるはずの娘を自ら育て、大輪の花を咲かせた。彼の生き方からは、月のように暗闇の中を歩く人の行く道を照らすような優しさが感じられる。家元は眩し過ぎて近づけなかったのかもしれない花として輝くチエコに。その結果ヒロインを暗闇に落とし入れ、月のようなわずかな光としてしか愛を表現出来なかったのかも。それに対して最終回で風間は花であるヒロインももに対して太陽に喩えられる。男は、太陽のようであるべきだ、そんなメッセージのある中で、実父である運転手は日陰の身に徹しているように、旧世代の男たちにはそんな控えめな印象を受ける。
希望や理想が語りづらい世の中で、きっと大丈夫だと誰かを支える言葉を発信し続けることは難しい。でも正直者がバカを見ない世の中であり続けるためには、そういう強さが必要。強さってそういうことだろう、そんな風に言われた気がする。

サイドストーリーとして小休止のように展開していく引きこもり中学生宗太のstoryも見逃せない。彼の境遇こそ父親不在の現実的世界。人生って何だろう、そんな風に迷う時期に、母ひとり子ひとりの家庭で、男としてどうあるべきかのモデルがない。有り余る力を間違った方向に出してしまう。自分を取り巻く社会とどう向き合うべきか、それを教える父性的存在の不在、又はそういう対象への不信。彼の日本一周の自転車旅は、少年から大人へ成長する通過儀礼を体現しているし、その中で父性的役割を果たす風間やイルカさん自身の父性の疑似体験による人間的成長もプラスしている。彼の帰還は、物語の成長に一役買っている。

愛と才能

どちらも手にして入れば最強だけれど。それは、与えるものか与えられるものか、そういうことではなくて、どちらも信じる心がなければ続けられない。未来を生きられない。自分をしっかり見つめることなしに、愛も才能も、語る資格はないのかもしれない。プーさんの愛情を必要として、その愛を滋養として生きる環境を選んだヒロインの決意に、わたしはなんだか本当に励まされた気持ちになった。

わたしはお花

あなたの愛によってのみわたしは咲くことができる

心の中にいるのはもう一人の自分ではなくて、愛する人。その人がいれば生きられる、人は愛を理由に生きることができる。
なっこ

なっこ