櫻

ありふれた奇跡の櫻のレビュー・感想・評価

ありふれた奇跡(2009年製作のドラマ)
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夕陽が空を燃やす時間に外を歩けるのってしあわせ。上ばかり見ながら、青い光がどこかへ散らばって、赤い光ばかりがこの目に見えるようにおちてこようとするのに、胸を桃色に染めた。歩く度にすれ違うのは、うれしそうに尾を振りながら散歩する犬とその家の人、帰路につく学生服を着た人、イヤホンでなにかを聴きながら歩く人などで、それらはその人たちの人生のほんの一瞬の生き様であり、わたしとその人たちが唯一交わったのかもしれない一瞬だ。最近はぐんと冷えますね。いつから吐く息よりも、吸う空気の方がつめたかったか教えてください。いつから長袖を着るようになって、朝に布団の中にいるのが一等の幸福に思うようになったのかも。もしも次会ったなら、なんでもないことを話しましょう。そう、頭の中で数々の言葉が浮かぶのに、きっとわたしはその人たちの顔をすぐに忘れてしまうのだろう。偶然が偶然のままおわる。わたしとあなたという、引き返せないふたりになる確率は、夕方に空から青い光が見えるのと同じくらい低いのかもしれない。そしたら、かつてわたしのことをひとりの名もなき女としてだけではなく、名前を呼んでほんのいっときでもともに居てくれた、おなじ景色をまったく違うようにまなざしていたあの人たちは、どこからきてどこへ行ってしまったの。わたしのことを雪が降ると思い出すと言っていた人とは、世界の見え方があまりにも違いすぎて、言葉が合わなくて別れた。お互いを光のように感じていた人とは、ある出来事の感受の仕方の違和感に耐えきれなくて、こちらから糸を切るようにぷつりと別れてしまった。いつだったか長野から家に帰るときにみすゞ飴を買ってくれた、うんと歳上の人は、わたしがおくったメールを読んだか読まないかわからないままで、ひとりで亡くなった。また会いたいと思う人も、もう会わなくていいけれどどこかで生きていてと思う人もいる。なんども間違えた気がするし、傷つけてしまったな。わたしはけしてやさしい人ではない。やさしくなりたくて、ずっとやさしくなれないでいる人だ。思い返せばみじかいひとときをともに過ごしただけなのだけど、たしかにわたしとあなたはそこにいた。ひとりとひとりが出会って、言葉や想いを交わし合った。きっとこの地球にありふれたふたりだった。誰かから見たら、振り向く必要もないくらいに、赤い光にだって紛れてしまうような。
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