クリストフォルー

オレンジデイズのクリストフォルーのレビュー・感想・評価

オレンジデイズ(2004年製作のドラマ)
4.0
先日のバースデーライブ配信で、このドラマの主題歌「Sign」を柴咲コウが歌った。ようやく過去を消化できたのだろうか。
放映当時(2004年)はリアルタイムで観る余裕が無かったが、いま観かえすと微妙な時代設定(オンエアの数年前2000年代初頭)で、おそらく、時代的には最後のアナログな就活風景が描かれている。スマホどころか、フューチャーフォンやインターネットも充分に普及していない中でのキャンパスライフや恋愛模様も含めて、黄昏色に染まっていたのは個々の青春だけでなく、終わっていったひとつの時代だった。フィクションだが、はからずも時代の転換期の記憶が刻まれたドラマになってしまった。
もちろん、当時の新鮮な魅力にあふれるキャスティングも見どころだし、コロナ禍で失われているキャンパスライフを、このドラマで取り戻すのもありかも。

ヒロインが中途失聴という設定なので、このドラマで一番便利なツールが“手話(日本語対応手話)”というのも皮肉な話だが、たとえ手話による言語的なコミュニケーションができても、それは二義的なものにすぎず、ほんとうに大事なものはその先にあるということは、ストーリーの中でちゃんと描かれているし、このドラマの肝だろう。 
 
このドラマは、主人公とヒロインを含む男女5人が絡み合う群像劇でもあるが、やがて、オレンジ色の一冊のノートを介した“オレンジの会”をつくる。
オンエアー当時(2004年)は、日本では"mixi"がSNSサービスを立ち上げたばかり。ドラマの中の彼らの、アナログ感満載な人との繋がり方は、今の若者たちにはどう映るのだろう。
少なくとも、コロナ禍の下で、パソコンやスマホの画面による繋がりだけでは、真の大学生活の実感は得られないことを知った新入生たちには、せめて、この一年を取り戻してあげたい。彼らのせいではないのだから、社会がやり直す機会を与えるべきだろう。

“恋愛(ドラマ)の神様”と評された北川悦吏子が描く本作での恋愛シーンは、それまでの数々のドラマで蓄積された技巧を、そう感じさせない様に表面をたわいなさで包み隠し、演じる俳優たちの個性も登場人物のキャラクターに充分に煉りこまれていて、見ていても気恥ずかしさを感じさせない。そこも本作が長く愛されている所以だろう。

言わずもがなな事を書くが、俳優たちがこのドラマで手話を使うのは設定上必要だからで、コミュニケーションの手段としてではない。本来の台詞のやり取りに手話を付随させているだけなので、多少の誇張はされていても、会話時の表情は役者の演技がそのまま反映されていて、違和感なく見ていられる。ただ、健聴者でつたない手話使いの自分の経験から言えば、
あんなに自然な表情で手話を使える事はほぼない。どうしても手話表現の正確性や表情による補足性を優先させてしまい、手話を使っているときは無表情がベースになってしまう。もちろん、親しいろう者と会話が弾んだときなどは、それなりに自然な表情ができているだろうが…。
嘘っぽいと言いたいわけではないが、多くの手話ドラマに出てくるのは、役者の演技力の上に手話が乗っかっているケースが多いということは言っておきたい。
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