Satoshi

ハウス・オブ・カード 野望の階段 ファイナル・シーズンのSatoshiのレビュー・感想・評価

3.1
Netflixを今日の人気まで牽引した作品の1つが,ハウスオブカードであることは誰もが認めるところ。主役不在でありながら,当時の世論の風当たりが悪い中 最後まで走りきってくれて制作陣にはお疲れ様と伝えたい。

全SEASONを通して,ここまで主人公やヒロインを初めとする主要人物に嫌悪感を感じる作品はない。不思議なのは,キャラクターたちへの不信感と共に,次回作への期待度や作品自体の愛着(この作品を紹介しまくりたい欲)が増していったことだ。
アンダーウッド夫妻やダグが,こちらに語りかけてくる度,三人のツンデレ対応(「君も楽しんでいたじゃないか」「君と話すのは好きじゃない…」)ににやけていたのは,恥ずかしいが私だけでは無いはずだ。
愛の反対は無関心と言うが,正に この作品には憎しみと同時に愛を感じる。


ハウスオブカードは一種のトランプ遊びだ。不安定にトランプを重ね積み上げて塔や城をイメージして構築していくわけだ。それは遊びであるが故に無目的的である。
アンダーウッド夫妻には,ハンマーシュミットが言うように,大統領になる目的や「イデオロギーはない」。まさにトランプ遊びをするように,暇つぶしゲームをするように大統領(権力)という塔を構築していく。これはひとり遊びである。
私たち(視聴者)は,アンダーウッド夫妻がどれだけ高い塔を作るのか期待し,またいつ倒れるかに期待し,カードを積み重ねる様に魅了される。
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