記憶の砂がこぼれないように鍵をかけてほしいと願う尚。真司は、尚がこぼす記憶という名の「砂にまみれたアンジェリカ」となる。尚の記憶は真司と小説の中にしっかり受け止められた。小説は二人の記憶の宝箱であり、尚の脳みそそのものでもあるように思える。
主題歌が尚真司のサブストーリーでしかない。
「よく晴れた空に雪が降るような〜変な例えだね
僕もそう思うよ〜だけど君はそんな感じだ」
「一体どこから話せば君という素敵な生き物の素敵さが、いま2回出た素敵はわざとだからね、どうでもいいか。」
「ねぇちょっとそんなのどうだっていいの、ドーナツ買ってきてよね、君ならそう言うだろうな。」
変な例えや即興の得意な真司の描写、尚の魅力を言葉にしようとする小説家真司の心情、そんなのどうでもいいからアップルパイ食べようと誘う尚を想像するのが容易い...。
いつになったら涙なしにこの作品を観れるかな、多分一生泣いてる気がする...。
人間って、人のことをどこで愛してるんだろうなんて思った。脳みそなのか、脳みそってそんなに偉いのか。結局恋愛も、記憶の重なりなのか。長い幸せな時間をともに過ごしていたというのに、脳みそが誤作動を起こすだけで、何もかも忘れちゃうんだから。でも、記憶を失った後の尚も、脳みそではない何かで真司を記憶していたと信じたい。煙突の見える風景に自らの恋心を託し、最後までその場所に居続けたんだから。
どうか二人が、この先の未来でまた人生を重ね合う日々が訪れますように。
そしてトダムロは永遠に推します。大好きです。