ゴトウ

13の理由 シーズン1のゴトウのレビュー・感想・評価

13の理由 シーズン1(2017年製作のドラマ)
2.0
薄くネタバレする。運動部の陽キャ/文化系の陰キャ的な対立(というよりは搾取?)、過保護、無理解な親、事なかれな先生、無自覚に人を傷つけたり傷つけられたり…と、誰もが少なからず心当たりがあるようなことが散りばめられてる。割に刺さらないのは、いまのアメリカのティーンじゃないからなのだろうか。死生観とかキリスト教的な道徳観(「13」も不吉な数でしょう)とか、日本で生まれ育った自分が内容を受け取る上で障害となるものが多くあるのは十分わかるけど、あまり面白いものとは思えなかった。

この作品を観て自殺した子どもがいたりして、ハンナの自殺シーンがカットされたらしい。それだけ劇的に描写され、作品内で間違いなく一番大きな出来事であるにも関わらず、死の描き方が非常に不誠実に思える。ハンナの自殺によってハンナの全てが正当化されるものではないことがもう少し描写されて然るべきじゃないのか?「ハンナが嘘を言ってるかもしれない」とは何度か言われるけど、どちらかと言えばもみ消しを図りたい人たちの詭弁という感じ。作中の事実がどうかとかじゃなくて、テープで一人一人「あなたのせいで私は自殺します」って名前を挙げていく行為って、もちろん追い詰められていたとはいえ正当とは言えないし、そんなつもりがなくても犯人のように責められたらトラウマものだよね?それこそ自殺の連鎖さえ起きそう(実際一人してしまっていたし)で、にも関わらずハンナは悲劇のヒロインになってしまっている。ハンナのテープをもとに、ハンナに恋心を抱いていたクレイを主軸に事実に迫っていくのは偏りすぎ。ハンナを絶対的に描きすぎたら模倣して自殺者が出るのは当たり前だよ。プロデューサーのセレーナゴメス、さすがティーンを踊らせる術を知ってるなあとは思ったけど、これはいくらなんでもダメ。自覚的にやってるにせよそうでないにせよ、話題性先行で自殺やいじめみたいなトピックを扱うのは悪だよ。実際模倣した自殺が出ているわけでしょう。いじめも自殺もスクールカーストもずっと昔からあるけど、先人がここまで露悪的にしないでそういうトピックを描いてきたことを軽視しすぎ。初めと終わりに「過激な描写があるけど自殺はダメ、相談して」みたいなテロップが出るけど、これも二重に良くない。ガキなんか見るなって言われたら見たくなるんだよ。で、作中でなんぼ露骨で過激な描写を入れても「注意したから」と言い逃れできるように予防線張ってるでしょ。本当に社会正義のために描かなくてはいけないという使命感のもとに製作したんだとしたら、もう少しやり方があるって。ちょっとセレーナゴメスにガッカリです。

自分を追い詰めた人たちに対する恨み節をテープに吹き込んで回させるっていうやり口もなんなのって思うよね。なんか楽しんでないですか?せいぜいみんなも罪悪感に苦しんで罪をなすりつけあえ!って思ってるならまだわかるけど、なんだか一貫してハンナはかわいそうな子としてしか描かれない。このやり方変でしょ。で、最終回で結局wavに変換されてUSBで両親に渡されてんだよ。最初からそうやってネットにあげとけや!マスターがあってそれをダビングして回してるのかもしれないけど、テープなんだから「こんなの嘘だ!」って途中で捨てたり燃やしたりする奴が一人もいないのも変でしょ。なんで卑怯だったり事実を受け止められなかったりする人ばかりいるのにテープだけ律儀に回してんだよ。あとクレイにもイライラするね。「聞いてね」ってハンナにもトニーにも言われてんのに、「もう聞けない〜」とか泣き言言ってみたり、途中の段階で早合点して誰かのとこに殴り込んでみたり(しかも弱い)、いいからまず全部聞けって。他のみんなはもう全部聞いた後なのに、一本テープ聞くたびにバタバタすんな。あと吹き替えもキモい。13人それぞれにテープの片面ずつ当てていくというコンセプトのせいで、人物描写がとっ散らかって出てくるやつがクズばっかりになってしまい、毎回毎回クレイがそいつらにイライラし、それをみる自分が2倍イライラしてしまう。

「みんながみんな、どこかで誰かを傷つけてしまう」、これもわかる。「事実なんて語られる人の数だけあるもので、絶対的な事実はない」、これもわかる。「いかなることがあろうと死を選ぶべきではなく、追い詰められた時は助けを求めるべきだし、追い詰められている人のことは助けるべき」、これもわかる。全部散りばめられてるはずなのにどうしてここまでダメな作品という印象を受けるのかというと、もうシンプルにエンターテイメントとしての完成度が低い。いじめや自殺を扱った作品はエンターテイメントにならないということはないはずなんだよ。観た後に重苦しい感情が残ろうが、何も救いがなかったと感じようが、その作品はエンターテイメントたり得るんですよ。ティーンの日常のハードさ、残酷さを描きたいならドキュメンタリー撮ればいいんだから。扱うテーマの重さではエンタメ作品としての作りの甘さは正当化できない。面白いかつまらないかで言えばつまらないです。

「誰もが悪いし、誰も悪くない」という、月並みだけど真実味のある結論に着地する方がまだ良かったな〜。散々胸糞悪い奴らばかり出しておいて、最後の最後に「うーん…やっぱり本当のこと言おう!」でこっちの心証良くなるわけねーだろ!生徒会が事実を隠すためにクレイのかばんにマリファナ入れたんだよ?あり得ねーだろ。ジョックスの皆さんはもちろん、生徒会のコートニー、マーカスはかなり胸糞悪いです。そいつらに理不尽に冷たく当たられるカメラのやつも気持ち悪いし…。何より、「一番の大悪党」を設定してしまうちゃぶ台返しが良くないって。なんか結局気分の悪い描写をひたすらに重ねてきた意味がないというか、誰かが一気に決定打を与えてしまったら話が変わっちゃうじゃん。こんな人いるよね…っていう人だらけの中に、完全サイコ野郎が出てきたらおかしいのよ。ブライスを一番サイコ野郎として描くところに文化の違いは感じたけどね。物腰柔らかいけど、無自覚な女性蔑視で罪の意識もない男。日本人じゃん。ネットニュースで見たぞ。

クレイはハンナに拒絶され、経験も少ない故にそのまま距離を再び詰めることができない。というか、あんな風に理由も伝えられずに拒絶されたらもう近づけないよな。あげくに罪の意識まで植え付けられる。でもクレイはハンナのことが好きだから全力でそれを受けてしまうわけでしょう。さすがにかわいそうだよ。追い詰められているとはいえ、ハンナの被害者意識が強すぎることもちゃんと描いてあげないから模倣自殺が出るんじゃないのかね。

なんかよく出来てるんでしょうけどね。単純に面白くなかったのでしんどかったです。シーズン2と3はもういいや。好きになれなかった理由も13個くらい挙げられそうだな。ジョイディヴィジョン流れたくらいで高評価なると思うなよセレーナ、コラ。

日本人の我々がこれよりずっと共感できて人も死なないティーン、スクールカースト映画、『桐島、部活やめるってよ』があります。小説を原作にしてるところまで一緒だけど、僕は桐島の方が100倍すごいと思いますよ。
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