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アンという名の少女 シーズン3のtaruponのレビュー・感想・評価

4.4
シーズン3まで見終わったので、全シーズン通しての感想。
とにかく、1~3まで、すごく面白かった。
まず、原作の赤毛のアンは、ひとまず置いておく。このドラマの本質は、原作の再現ではないから。でも、アンという好奇心が旺盛で、正義感にあふれでも、これまでの育ってきた環境から、自分を認めてもらいたい、自分を愛してほしいという気持ちがトラウマにもなっている少女(これは、若干の強調はあっても原作のキャラクター)を、人々の意識も生活スタイルも大きく変化していた19世紀末、アヴォンリーというムラ社会に置いてみたらどういうことが起こりうるかをイメージして描いている。
だから、でてくるキャラクター達は、原作に近いもの、原作からかなり離れているもの、もはや原作には影も形もないけれど、このドラマではキーになるキャラクターとかいろいろあるけれど、そこはアンのキャラクターと設定を借りた、もう1人のアンの話と思えば私は全く気にならなかった。

原作とは、違う意味での面白さがあったのは、原作ではアンの成長、それをうけてのマリラの変化が「赤毛のアン」の2大要素だと思うけれど、それ以外にもいろいろなテーマをとりこんでいた。
ギルバートがトリニダードまで行って黒人のバッシュと出会い連れてくること、先住民族のカクエットとの友情などを盛り込み、人種差別といった問題もぶっこんできていること。さらには、対アヴォンリーの人達の感情、教会側の体制派の意識だけでなく、バッシュと母との確執等、黒人内での意識の違いまで盛り込んでいる。
また、ジョゼフィンおばさんにまさかの同性愛キャラを付け加えた事、コールを登場させたことで、そのテーマにもかなり切り込んでいる。
あと、結婚問題!フェミニズム的観点からの展開もあちこちに。
そもそも、マリラがその負い目から解放され、アンとの関係性を築いていくところも大きい。アンドリュース家の兄弟のキャラ付けも原作とは違い興味深い(姉のプリシーはフィリップ先生との結婚をけって進学し父親にビジネス上で認めてもらおうとして軋轢が生まれるし、ビリーは完全に女性蔑視の旧来の価値観の中にいるわがままなボンボン。ジェーンは何も考えていない)
ダイアナは、まさに親からの旧来的な女性観、結婚観と戦っていた。

ギルバートは終始、ステキでした。何のひねりも無くかっこよく公正で思慮深いキャラだった。最終回は一気にいろいろ動きすぎたけれど、まぁとりあえずのハッピーエンドでいいところを見せてくれたし、良しとしよう。

あと、すごく興味深かったのが、アンの愛読書がジェーン・エアであったこと。ダイアナとジェリーがやりとりする本がフランケンシュタインであったこと。(ジュリーをフランケンになぞらえている台詞まであった)あとダーシーをさりげなくいれてきて、やっぱり高慢と偏見はこの時代も今もデフォルトだよねと感じる部分も。


このドラマは、シーズン3で打ち切りになって続編は制作されないのだが、それについてはとても残念。カナダCBCは、長い目で見てカナダの産業の害になるということでネトフリとの共同制作を打ち切ったそうだけれど、どういう点で害になると思ったのだろう?
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