ブタブタ

アンという名の少女 シーズン3のブタブタのレビュー・感想・評価

4.0
『赤毛のアン新劇場版』
最初の方はオリジナルに忠実だけど後半どんどん別の世界線へと進んでいく。
原作ファン、子供の頃から『赤毛のアン』を繰り返し読んでる様なアンを「聖典」と呼ぶ読者ほど評判悪いのは分かる。
やっぱり打ち切りの最大の原因はカナダNetflixからの抗議のせいだと思う。
カナダにおけるネイティブ・アメリカンのおそらくは虐殺事件があった事を今迄ひた隠しにしてそれが近年次々と明らかになっているというニュース。
アメリカにおける先住民族差別や虐殺、隔離政策は今迄映画やドキュメンタリー等で数多く取り上げて世界的に知るところであるのに比べてカナダにおけるネイティブ・アメリカン迫害の歴史は(アメリカの)影に隠れてあまり注目されなかった。
『アンという名の少女』は歴史的名作である『赤毛のアン』を舞台はそのままで内容を現代にブラッシュアップしたと言うか、女性差別や先住民族隔離政策等のその国の「負の歴史」をアンという絶対的な存在を中心に据えることで光の元に暴き出し、之は明らかに間違っているとジャッジを下し現代にも続くそれらの事象を今いる私達にも変えて行かなければならないというメッセージをおくる、その象徴としての役割を誰もが知ってる赤毛の少女アンに託す。
しかし原作のファンからしたら何故それを赤毛のアンでやるの…って意見は当然かもしれない。
製作総指揮は『ブレイキング・バッド』の人らしい。
何かシーズン毎の「引き」とかが『24』等の如何にもその手の「アメリカドラマ」的なのはそのせいなのか。
何度も実写化されてる赤毛のアンでアンを演じる女優って所謂「設定ブス(失礼)」で誰がどう見ても可愛い子、美少女ばかりだったけどエイミーベス・マクナルティさん演じるアンの絶妙なブス具合(失礼)は正にアンそのものだと思う。
高畑版アニメのアンにそっくりなんだもの。

色々とアンという名の少女の解説や考察読んだのですがシーズン1終盤からのエピソード、あの悪党二人組は後にアンが書いた小説に登場するキャラクターらしい。
ネイティブ・アメリカンの少女もルーシー・モンゴメリの別の小説からどうやらインスパイアされてるらしく、アンという名の少女は多分にメタ的な世界感による『赤毛のアン』で、アン≒ルーシー・モンゴメリでもあり、モンゴメリがもっと長生きしてアンの続編を次々と書いていたら、アンが将来教師にならず小説家になり自らの人生を小説にしていたら、というifの『赤毛のアン』をドラマ化した様なルーシー・モンゴメリ≒アンという入れ子構造の作品の様にも思えました。
なのでシーズン3で終わってしまい残念。
シーズン4以降はアンが小説家になりペンによってタランティーノの『イングロリアス・バスターズ』みたいに歴史改変までやってしまう様な予感もしてたのですが。
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