ベチィ

アンという名の少女 シーズン1のベチィのレビュー・感想・評価

5.0
孤児院から男児と間違えられてグリーンゲイブルズのカスバート家に引き取られてきたアン。
道や桜の木にも名前を付け、ドラマティックな言葉で内情を表現する、エキセントリックな癇癪持ちの女の子。
どの点でも「限度を超えた」彼女に、なぜか激しく惹きつけられた。
今の私の想像力も、″モノ″に名前を付ける習慣も、「もし私だったら…」と自分を投影する映画の見方も全部、アンからの影響だと言い切れる。

そんな世界中の女の子を夢中にさせたルーシー・モード・モンゴメリーの小説『赤毛のアン』は、これまでも映像化されてきたが、今回のドラマでは″描かれてこなかったあれこれ″と出会うことができる。
たとえば、カスバート家に引き取られる前の孤児院や子守をしていた子だくさんの家庭での記憶は、今まで以上に丁寧に描写。
また、彼女を引き取った兄妹のマシューとマリラの人生も端折られることなく掘り起こされる。
マリラとマシューに加え、アンの才能を引き出し伸ばす大人の一人であるバリー夫人の登場シーンは短いながらも、巧みなセリフから彼女のライフスタイルが透けて見える。
独身を貫いた彼女の「私なりの結婚はしたつもりよ」という言葉に、今改めてその強さと凛々しさにハッとさせられる。
そして、アンが初潮を迎えたエピソードと「腹心の友」であるダイアナを間違えて酔っぱらわせてしまう話をリンクさせ、アンの「男児ではない」成長を際立たせる流れにも膝を打つ。

そうした″今まで描かれてこなかったこと″を丁寧に掬い取ることで、″現代″に響くメッセージが観る者の心に届くのだ。

学校のクラスメイトたちの仲間意識、育ちへの偏見、女性の生き方、不平等、様々な抑圧、家族のあり方…。
まさに今の社会で課題となっていることに、アンやマシュー、マリラはすでに対峙し、命を繋いできていたのだと気づかされる。


幼少の頃の私は、自分と同じ「幼いアン」が一番好きだった。
原作のなかで彼女が成長するにしたがい、徐々に関心が薄れていったのを覚えている。
自分自身も大人になり、さまざまな経験を積んだ今、もしかしたら「大人のアン」にも心を寄せることができるかもしれない



そんな訳で本作、『アンという名の少女』シーズン1完走。

「感動には大袈裟な言葉が合う」
正にその通り。
この全7話、たった2日で見終わってしまったけれど、アンとマシュー、モイラ、そしてグリーン・ゲイブルズの人々に出会えて本当に良かった。
今から次の旅がいつ始まるのか、報せが届く日が本当に待ち遠しい。