まさみ

コールドケース/コールドケース 迷宮事件簿 シーズン1のまさみのレビュー・感想・評価

5.0
迷宮入りして数年、あるいは数十年も経過した事件を再捜査するうちに、新たな真実が解き明かされて……

というと硬派な刑事ドラマを思い浮かべがちだが、「コールドケース」はヒューマンドラマ7:捜査3の比率に傾いている。
ぶっちゃけロジックやトリック重視の推理や捜査に見所がある訳ではない。
なにせ7シーズにも及ぶ話なので、大抵2・3人目に話を聞きに行く人が真犯人だとか(最初の人物が犯人の場合もある)ある程度パターン化されてくる。

が、面白い。
これめっちゃ面白い。

思えば1年近く前、2020年の正月に「そういえば評判いいけどどんなもんだろ」Amazonプライムで一気見して寝食忘れる勢いでドハマり。

若くて可愛い女の子が難病にかかって死ぬような、あるいは小さい子供や動物がやたら理不尽で可哀想な目にあうような感動押し売り系の話が大っ嫌いなスレまくりの私が、一話完結40分弱の「コールドケース」で毎回滂沱。自分でもちょっと引く勢いで泣いてた。
というのもこのドラマ、私と同じ嗜好や傾向の視聴者にむっちゃ刺さるのだ。
どういうことか今から説明する。
このドラマにハマる人のはどんな人かというと

・一話完結のドラマや小説ではレギュラー陣よりゲストキャラのエピソードに思いきり感情移入しがち

・なんならレギュラー陣の惚れた腫れたすったもんだよりゲストキャラの波乱万丈ドラマに入れ込んで、主人公パートに切り替わると「いいから早く戻って!」とじれったがる

上記二点に該当するなら高確率で「コールドケース」にハマること請け合い。

海外ドラマは大抵一話完結様式である。
こちらは視聴率低下による打ち切り以外に原則終了しないので、シリーズはどんどん重ねていく。
「スーパーナチュラル」など、ファンに愛され二桁台に突入している長寿作も少なくない。
しかしレギュラー陣のキャラが立っている弊害として「一話完結ものでもレギュラー陣のプライベートなドラマが偏重され、ゲストのエピソードが蔑ろにされる」問題が挙げられる。
私にも経験がある。
具体的なタイトルは伏せるが、ある海外ドラマのエピソードに感動し、他の視聴者の反応が気になってネット掲示板を覗いたところ、その回のゲストの話はまるきりスルーで主人公とヒロインの色恋談義に終始してがっかりした。
もちろん長く付き合ってくレギュラー陣が魅力的なのはいいことだ。
私だって彼らには思い入れがあるし幸せになってもらいたい。
だが一話完結の形をとってその回ごとのゲスト中心に話を展開するなら、やはりそのゲストをいかに魅力的に描くか、ゲスト中心にいかに話を深く濃く膨らませられるかがシリーズの醍醐味じゃないか?
レギュラー陣の恋愛問題ばかり読者(視聴者)に取沙汰されて、主人公らが出会って別れ感銘を受けた筈のゲストキャラの生き様がおざなりにされる風潮にどうにも乗り切れなかったのが本音だ。
コールドケースはそれがない。
本作の主人公はあくまでその時代を生きた、その時代に葬り去られた人々だ。
海外映画・ドラマレビューサイト「Filmarks」の投稿に、「面白いのだが基調となる物語がないのでそこまでのめりこめなかった」という意見がある。

言おうとしていることはよくわかる。
確かにそういう見方もできるが、ぶっちゃけ好みの問題に尽きる。
というのも、本作はレギュラー陣が前面にでしゃばらない。
彼らは彼らでそれぞれ複雑な背景を背負っており、家族や職場での人間関係に悩んでいる。
象徴的なのが主人公の女刑事リリー・ラッシュ。
賢く勇敢でタフでハンサムな彼女は、アル中の母親にネグレクトされて育った悲惨な過去の持ち主。
話が進むと明らかになる過去はもっと過酷で、「男に縋るしかない酒浸りの母親のようにはなりたくない」と自己を律し続けてきたせいで恋愛に奥手で不器用、自己表現に難を抱えた彼女の不器用さや傷付きやすさはとても危なっかしく痛々しい。

仕事はデキるがそれ以外は上手くいかないリリー。
心を許せるのは家で飼ってる二匹の猫だけ。
この猫二匹は片目が潰れていたり脚が一本なかったりで、リリーの欠落や弱者への愛情を表す存在として描かれている。

残念ながらシーズンが嵩むと出番が減ってくのだが、特にシーズン1ではこの二匹とリリーが家で寛いでたり、ベッドで寄り添ってる描写が頻繁にでてくるので猫好きにもおすすめしたい。
レギュラー陣それぞれの家族も問題を抱えている。
ぶっちゃけてしまうと、彼ら自身や家族の殆どが何らかの事件や事故の被害者なのだ。

幼少時にジムのコーチに性的虐待を受けた兄やスーパーの駐車場で性的暴行された母、当時交際してた彼氏にレイプされた娘など、「クリミナルマインド」かよ!!って位犯罪被害者が多い。
このへんいくらでもエグく料理できるのに、あくまでバックボーンにとどめてサラッと流すのが「コールドケース」のいい所。
「コールドケース」の場合、捜査官の手落ちで家族がとばっちりをくうのではなく、捜査パートと並行するプライベートパートで過去の被害が掘り起こされるため、警察の無能ぶりにイライラするのは上手く避けられている。

基本的な流れだが、既に迷宮入りした事件が何かのきっかけで再捜査され、真相解明に至る。
おおかた殺人事件で真犯人に辿り着くのだが、なにぶん昔の事件(古いのだと70年前とか)ゆえに真犯人が死んでるケースもままある。
殺人のみに限らず、自殺だと思われていたら過失致死だったとか事故だったとかどんでん返しが起こり得る。
コールドケースと一口に言っても、なんでコールドケースになったかの経緯は様々だ。
当時の社会情勢や社会通念、人種差別や同性愛差別、各種LGBTやエイズ問題など、捜査する側の偏見故に迷宮入りしてしまった事件も多い。

これは証言者の側も同じ。
当時は周囲の目を気にして言えなかったが、何十年も経った現在だからこそ呪縛が解けて話せる事柄がある。
社会通念に代表される世間の圧力や心ない偏見、それらが証言者の口を閉ざしたせいで正しい捜査が行われず、事件の核心は闇に葬られた。
「コールドケース」は「どうやって」より「どうして」「なぜ」に比重を割くため、この「当時は言えなかったけど、(偏見が薄らいだ)今なら話せる」盲点の落とし込みが非常に説得力を持っている。
また、本作の特徴として挙げられるのが被害者の多くが善良な人々である点。
若く才能にあふれ、前途ある、心根は正しく優しいひとびとが様々な誤解やすれ違い、あるいは偏見や嫉妬から理不尽な死を迎える。
主に黒人差別を扱った話が多く、「チェス」などはなんともやりきれない余韻を残すのだが、ただ後味が悪いだけじゃ終わらないのがコールドケースの美点。
「コールドケース」には事件当時流行った歌が取り上げられる。
エンディングではそのメロディにのせて、事件当時と現在の関係者の姿がフィードバックし、被害者が捜査官、あるいは現在も自分を想ってる人の元に姿を見せる。
ラストに現れる被害者は亡霊なのか回想なのか、捜査官や関係者が見てる妄想なのか言及はない。視聴者の想像に委ねる形の憎い演出だ。
そしてこの懐かしいメロディにのせた被害者と関係者のひとときの邂逅こそ、「コールドケース」に暗く重苦しいだけじゃない、永い絶望を抜けた先に仄見える希望の余韻すら与えている。

ラストの被害者が浮かべる表情はさまざまで、何かを吹っ切ったような笑顔から思い出を噛み締めるような表情とそれぞれに違っている。
だが最初から最後までエピソードは見届けた視聴者には、長い歳月を経て真実が解き明かされた事で、忘れられた人々の尊厳が回復されたと信じられる。

過去は変わらない。
起きてしまった事は変えられない。

悲惨な事件や死の現実は変わらなくても、被害者の尊厳が回復された事で、彼らを未だ大切に思い続ける遺族や恋人、誰かの心にわずかばかり光がさしこむ。
それを安易に「救済」とは呼べまい。
理不尽に殺された人々が生き返らない以上、真犯人が捕まろうが真相が判明しようが、遺された人々が本当の意味で救われる事などありはしないのだから。

だが、無駄じゃない。決して。

「コールドケース」はまず冒頭に5分程度、被害者が幸福の絶頂だった頃、彼らが最も輝いていた時代の映像がはさまれるのだが、最後は必ず死亡シーンで締めくくられる。
冒頭とラストが劇的に呼応する事で、単なる被害者では終わらない、当時を懸命に生きて死んだ人の姿が立ち上がってくるのだ。
素晴らしい音楽が後味の悪さを中和してくれるおかげで、視聴後にはやりきれなさよりむしろしみじみと切ない余韻が染み入る。

さらにこのドラマの憎い点。
被害者が恋人や親子の場合、ラストに二人そろって出てくるケースがある。
彼らは死に別れたか、もしくは片方の死の真相究明や復讐が原因で命を落とした場合が殆どだ。
生前引き裂かれた親子や兄弟、あるいは恋人同士が、未だに彼らを思い続ける人々の前に再会を叶えた姿で現れては去っていく。
たとえそれが幻覚にすぎずとも、死者を見送った生者の心はほんの少し救われるのだ。

ビターな感傷と満足感のバランスが絶妙で、40分弱のドラマとは思えない充実した見ごたえだ。
まさみ

まさみ