>> 真のシンギュラリティは謎のまま <<
シーズン2から4までぶっ通しみた感想を短歌にのせて、
AIと人の区別もつかぬまま、
今も未来も、
ケセラセラワールド
観終わった際は、S5があるように伝えられていて、え?まだあるの?って思ったけど、どういう決着つけようとしていたのか気にもなっていて、期待してたんだけど、結局打ち切りのようで・・・残念のような、納得のような。。。
シーズン1のレビューで、
「これ以上この線を押していくと物語がダッチロールしそうで心配。」
と書いたけど、やはりその心配があたったようなシーズン2以降の展開ではあった。
そのあたりが、打ち切りの遠因かもしれない。
— ストーリーライン —
・ パークの運営サイド
・ 客
・ AIロボ
のみつどもえが繰り広げられる。
AIロボたちは前シーズンのパーク内の反乱後、大きく二派に分かれる
①ドロレスらを中心とした、パークから出て人間世界へ進出しようとするロボたち
②超合金の体を捨て、バーチャル空間で永遠に平和に生きることを選択しようとするロボたち
方向性は違っても、両派とも「人間の支配からの独立」であることに変わりはない。
しかしながら、このドラマほんとわかりにくい。
過去、現在、未来、および場所の時空をシャッフルしていることに加え、AIロボらが年をとらないという点が余計にわかりにくくさせる。
彼らは死んでも(=故障しても)何度も再生するし、何十年たってもその容姿はそのままで老けない。
S2の冒頭あたりに、S1よりもさらに前の時代(ウエストワールド創業前に)ウエストワールドの資金を集めるため、ドロレスらAIロボの完成度をプレゼンするシーンがある。
ドロレス含め、全員容姿は変わらず。
一見すると、どの時代なのかわからないが、こういうのはいいほうで、なかなか見抜けないシーンが多い。
S3以降になると、さら輪をかけてわかりにくくさせるバーチャル空間が登場する。
バーチャル空間にはリアル空間とおなじ風景があり、そこではAIロボたちが普通に生息できる。
しかし、それはネットゲーム空間で動き回るプレイヤーと同じで、あくまでバーチャル空間。
これがまたわかりにくい。
— ドラマの着地点はシンギュラリティに対するアンチテーゼなのか?—
シンギュラリティとは、「技術的特異点」という意味で、AIが人間の知能を超える転換期を指す言葉として使われる。
AIが人間の知能を越えた瞬間、そのあたりの動物らが人間の考えを理解できないのと同じで、人間がAIの考えを理解できなくなる。
つまり、人間をAIが支配する時代が始まる人類のターニングポイントとなる。
シーズン1では、てっきりシンギュラリティの到来かと思っていた。
ウエストワールドでは、ある秘密の研究が続いていた。
それは、全人類の頭の中をそのままAIロボへコピペしようとする壮大な目論見の基礎実験。
人間の頭の中の情報量は、案外薄っぺらく、簡単に情報として取り出せることがわかった。
それで、取り出した頭の情報を、AIロボの頭脳にデジタルコピペする。
そうすれば、頭脳は人間そのままに、永遠に再生可能な体を手に入れることができる。
つまり、”不死”を得られると。
ところが、その薄っぺらい頭の情報をコピペするのがうまくいかない。
ウィリアム坊やの義理の父の頭のなかをコピペして、義父そっくりのAIロボに生活をシミュレートさせるのだが、問題なく動いてそうなんだけど、一定のところから、なぜか彼の言動がおかしくなってしまうのだ。
その”なぜ”が原因不明で、試行錯誤を繰り返すも、一向に解決しない。
そんな日々が何十年も経過し、見守っていたウィリアム坊やも坊やでなくなる。
なぜ、うまくいかないのか?という課題は、
「人間って何者?」
という命題に等しい。
「知能」を超えるということは、「知能とは何か?」を定義できていることが前提となる。
前提である人間の「知能」の情報量は薄っぺらいのだが、情報だけではない「何か」が、人間にはある。
その「何か」がわからなければ、いつまでたっても超えるに越えられない。
ほんとうの意味のシンギュラリティ、つまり”人間を超える”ことはできないという、壁にぶちあたっていたのだ。
ウィリアム坊やはその理由を探すため、ウエストワールドを徘徊していた。
そういった、シンギュラリティに対するアンチテーゼのような匂いがしたシーズンラストであったが、S5が打ち切りということで、知るすべがない。
こういうAI系はこれからも出てきそうなので、シンギュラリティについて面白い発想で挑んで欲しい。
ちなみに、ドロレスのお父さんって、どうなったんだろう?(まだ回収してないはず)