蜷川実花の写真を見たことがある。花を極彩にコラージュした写真でどれもそんな感じ。商業写真だと言われたら安心だが芸術だと言われたら困る。
ドラマはエキセントリックな人物像を気取っていて、生きている気配がない。じっさいにこんな人たちは存在しないし、人はそんなにカラフルでもない。花弁をならべてコラージュした写真が、そのまんま映像へ展開していた。
それらのエキセントリックとカラフルに、大きな予算と威光とNetflix=世界発信を意識した背伸びがあらわれている。こけおどしの先鋭性が、無いものをカモフラージュしていた。=お花を並べた写真で、内実の空洞を隠していた。
わたしの知り合いに芸術をやっているひとがいる。田舎で縁故もないから鳴かず飛ばずだが、いいものをつくっている人もいる。そのなかの一人に、蜷川実花監督の映画の印象を聞いたとき、貶したわけでもないのに、親の七光りだって才能のひとつだと諭された。知らなかったわけじゃないが、芸術家の口から、それを聞きたかったのである。