タケオ

マインドハンター シーズン1のタケオのレビュー・感想・評価

マインドハンター シーズン1(2017年製作のドラマ)
4.4
 『ファイト・クラブ』(99年)や『ソーシャル・ネットワーク』(10年)などの作品で知られるデヴィッド・フィンチャーが、『ハウス・オブ・カード 野望の階段』(13~18年)に続きNetflixと2度目のタッグを組んで制作したドラマ・シリーズ『マインドハンター』(17年~)のシーズン1。1970年代後半のアメリカを舞台に、FBI行動科学課の捜査官たちが、刑務所に収監されているシリアル・キラーたちとの対話を元に「犯罪者プロファイリング」を確立しようと奔走する姿をスリリングに描き出していく。
 『セブン』(95年)や『ドラゴン・タトゥーの女』(11年)のように、やろうと思えばいくらでもグロテスクで猟奇的な作品に仕上げることもできたはずだが、本シリーズでフィンチャーは、そういった「わかりやすい」描写をあえて封印している。死体をこれ見よがしに映し出すような真似をすることなく、淡々とした会話やディテールの積み重ねによって、背筋も凍るような「狂気」をジワジワと紡ぎ上げていく抑制の効いたタッチは、どちらかといえば同じフィンチャー監督作品でも『ゾディアック』(06年)に近い。隅々まで計算され尽くした、偏執狂的とすらいえるほど緻密な画面構成。正にフィンチャーの真骨頂である。
 また、モンティ・リセルにジェリー・ブルードスからリチャード・スペックまで、実在するシリアル・キラーたちが次から次へと登場するのも、本作の大きな魅力のひとつだ。どのシリアル・キラーも一筋縄ではいかないクセものばかりだが、中でも特に、キャメロン・ブリットン演じる連続殺人鬼エド・ケンパーの異様な存在感には目を見張るものがある。表面的には温和であるものの、フとした瞬間に見せる、全てを見透かしたかのような冷たい目。真綿で首を締め付けられるかのような、そんな緊張感がケンパーには常に付き纏っている。
 シーズン最終話のラストで、主人公のホールデン(ジョナサン・グロフ)が入院中のケンパーに会いに行く場面は、シーズン1屈指の名場面といっても過言ではないだろう。シリアル・キラーたちとの対話を重ねることで少しずつ自信をつけ始めていたホールデンへの、「わかった気になってんじゃねえぞ」といわんばかりのケンパーからの強烈な一撃。いざとなれば今すぐにでも平気で人を殺せるケンパーの「狂気」が、スクリーンを飛び越えて鑑賞者すらも圧倒する。ここまで怖いと感じた場面は本当に久しぶりで、一周まわって不思議な高揚感すら覚えてしまった。
 シリアル・キラーたちとの対話を重ねていくうちに捜査官たちは、自らの内側に巣食う「怪物」との対峙を余儀なくされるようになる。このままではミイラ取りがミイラになってしまうのでは——そんな恐怖と不安が、『マインドハンター』には満ちている。決して理解し合うことのできない「他者」との対話を通して人間のダークサイドを赤裸々に炙り出す、劇薬のような怪作である。