毎日くたびれてます

腐女子、うっかりゲイに告る。の毎日くたびれてますのネタバレレビュー・内容・結末

3.9

このレビューはネタバレを含みます

案外にシビアな話だった。
最近はゲイであっても『おっさんずラブ』『昨日、何食べた?』等、日常のハッピーな部分が面白おかしく描かれたたドラマが好評な所為で、あからさまな差別を受けるようなことはなくなってきているのではないかと思っていた。「腐女子」に至っては人に言っても恥ずかしくない、よくある趣味の一つくらいに認知されているものだと。
ただそれは当事者ではない僕がそう感じていたというだけのことであって、彼らの置かれている現実とはどうやら違うらしい。そのことに改めて気づかされた。
特に思春期真っ只中にいる同性愛者や、マイノリティーな性的嗜好を持っている人たちの悩みや苦労は深刻で、昔と何も変わっていないのかも知れない。
主人公であるゲイの高校生は、自ら命を絶った友人の言葉から、異性同士で子供を作って子孫繁栄に寄与するのが、人間としての“普通”であるとしたら、「どうして僕たちのような人間が生まれてくるのだろう」と考えるようになる。それについてドラマでは明確な答えは示されない。でも“普通”の意味について、また改めて考えさせられることになる。そして僕は同じように“差別”はどうしてなくならないのだろう、と考えた。こちらも明らかな答えには至っていないのだが、ここで一つ、差別を否定的に捉えるのではなく、必要だからなくならないという視点で考えてみようと思い立った。そこで僕が着目したのは、差別される者が、おしなべて、現実社会においては弱者であるいうことだ。もしかしたらこの社会で、弱者である被差別者を守る手段として差別という心理が必要なのではないか。人間は、被差別者が心理的、身体的暴力を受けず、命を奪われたりしないように「あいつは自分とは違う(生き物な)んだ」と予め識別し、自然と被差別者を遠ざけるようにできている。それが差別という形で現れるのではないか、ということに思い至った。ただ人間の差別心理については、もう少し自分でも深く掘り下げて考えてみたい。
ゲイの高校生が恋人として付き合っているのが谷原章介。いかにもこういうことしそうだなぁという雰囲気を醸し出していて、このキャスティングは上手かったと思う。
ラスト、終業式の会場で腐女子の女の子が、私はゲイの彼が好きになってしまいました。そして私は変態の腐女子です、と教師からマイクを奪って壇上でカミングアウトするシーンがある。会場は高校生と教師がもみ合って大混乱。公衆の面前でゲイであるジュン君と腐女子の三浦さんは熱烈なキスをするハメになるのだが、これはちょっととって付けた感があって、やり過ぎの感じがした。
2019.6.10