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ツイン・ピークス:リミテッド・イベント・シリーズのGreenTのレビュー・感想・評価

5.0
クーパー捜査官がTVに戻ってきたのに、誰も観ていない。ニューヨークで、バイトの大学生がガラスの箱を見続ける実験は、25年間中身のないTV番組を黙って見続けていた視聴者を示唆しているのではないか。

クーパー捜査官がガラスの箱に現れたとき、バイトの大学生は他のところでなんか色々やってて観ていない。カメラで四方八方から撮影しているにも関わらず、それにもクーパーは写っていない。これも、今では録画だってできるのに、それでも視聴者は大事なところは観ていないってことだと思う。なのに、恐ろしい場面だけは観ている。そして、そういう恐ろしい場面は人々の頭を破壊する。

クーパーがダギーとして現れるラスベガスは、ツイン・ピークスの焼き直しみたいになっている。カジノのオーナー、ミッチャム兄弟はホーン兄弟みたいだし、地元の警察は全く役に立たない。ラスベガスのFBI の偉い人は、ゴードン・コールのようにいつも叫んでいる。悪いことをするのは小人だ。

ダギーと入れ替わってTVに戻ってきたクーパーは、自分のことを思い出せない。フクロウが飛んだり、コーヒーや、チェリーパイや、赤いヒールや、『ツイン・ピークス』を思わせるものがいっぱい出てくるのに・・・。

クーパーは「思い出せない」んじゃないと思う。このラスベガスの「ツイン・ピークスもどき」には、彼が捜査しなければならない「ミステリー」なんて存在しない。ラスベガスのキャラはツイン・ピークスのキャラの模倣だけど、二面性はない。目的がないクーパーは抜け殻なのだ。そして、現代のTV番組は、主人公に対してなんの障害もない。だからクーパーがなにも考えないで行動しても、全てがうまく行く。

そして25年後のツイン・ピークスはどうなったか?Dr. ジャコビーは人々の恐怖をあおることで「救い」を売りつけるユーチューバーになり、ネイディーンは「音もなく光を遮るカーテン」を売ることで成功したビジネス・ウーマンになった。ノーマも、ダブルRダイナーをフランチャイズ化している。

こんな風に「消費者文化」「大量生産文化」に侵されたツイン・ピークスでは、シェリーやオードリーの子供たちはひどい生活をしているし、ロードハウスに集まる人々も陰湿な人ばかりになってしまった。

第8話は、1945年の原爆実験の場面から始まる。この後、アメリカは日本に原爆を落とし、東西冷戦が始まる。この「核の恐怖」が、ボブや腐った卵を生み出し、黒い人々がやってくる。

リンカーン大統領に似ている黒い人はラジオ局を乗っ取り、

This is the water this is the well drink full and descend
この水を飲み込んで落ちて行け
The horse is white of the eyes and dark within
馬は見た目は白く見えるが内側は暗い

と言い続ける。この馬が見た目は白く見える、というのは、「馬は白目だ」とダブルミーニングで、「見てみぬふりをする」と解釈している人がいる。目をそらすと、白目が見えるからだ。

こういうラジオを聞いて育った若者たちは、腐った卵から孵った「虫」を持って大きくなる。

ラジオからTVへと「電波に乗ってお茶の間に届けられる恐怖」に対抗して巨人(ファイアーマン)が住む「シネマ」は、金の卵(光)を生む。

元々ツイン・ピークスは、マーク・フロストとデヴィッド・リンチがこの「シネマの金の卵」をTV界へ持ってこようとした試みだったんだと思う。女の子たちは50年代の映画スターのような髪型をして、チェックのスカートを着ていて、音楽も古臭くて、1990年当時でも「こんなところ未だにあるの?」って思ったくらいだったけど、あれはリンチ・フロストの考える、「核の恐怖」の前の「理想の街」だったのではないか。そこにも「電波に乗った闇」は存在していたが、ローラ・パーマーは、その闇と融合しまいと戦って死んだことで、ツイン・ピークスの人々を通して視聴者に「光」を見せようとしたのではないか。

クーパーは、TV視聴者を正しい方向に導いて、「闇」を暴いていくキャラだった。他のFBI捜査官もみんなそういう役目で、デヴィッド・リンチが演じるゴードン・コールは、「FBI のディレクター」という、まさにこの捜査官たちを「監督(ディレクター)」する役目だ。

白い髪のダイアンは、電波の闇に犯された視聴者だと思う。ダイアンは、悪いクーパーにレイプされたという。ある日ノックもなく家に入ってきて、レイプされたと。

「家に入る」とか「家に帰る」という表現は良く出てくるけど、これはラジオ、TV、そして現代ではインターネットなどのメディアが「電波に乗ってお茶の間に入り込む」ことを示唆しているんだと思う。ノックもなくズカズカと入ってきて、視聴者をレイプする。

ダイアンが白い髪なのは、「ボブ」に支配されているということなんだと思う。ゴードンはそのダイアンを撃つことができなかったと言う。それは、デヴィッド・リンチがやりたかった「電波に乗った悪を止める」「電波で光を届ける」という使命を理解できずに、「誰がローラ・パーマーを殺したか?」という犯人探しに終始する「悪に犯された視聴者」を無視できなかったということなのではないか?ゴードンのセリフは全て、デヴィッド・リンチの言葉そのものなのではないか?

この『ツイン・ピークス・リターンズ』は、『Twin Peaks: The Missing Pieces』というボックスセットに収録されている『ローラ・パーマー最後の7日間』の削除シーンに似たシーンがたくさん入っている。リンチは、オリジナルのTVシリーズで本当にやりたかったことを全部やって、ツイン・ピークスを終わらせようとしているのではないか?

ノーマはダブルRダイナーをフランチャイズ化しようとしていたが、結局止めて、エドと結婚することにする。これは、『ツイン・ピークス』をフランチャイズ化して台無しにする気はない!というデヴィッド・リンチの宣言なのではないか?

クーパーが悪いクーパーを倒して、ブラックロッジに戻し、めでたしめでたし、というラストは、お茶の間用のラストだと思う。本来ならば、ツイン・ピークスでは善と悪は対になっていなくちゃいけないからだ。このシーンにかぶっているクーパーの無表情な顔が「I'm living in a dream(私は夢の中で生きている)」と囁いているのは、勧善懲悪で上手く収まったラストを「ああ、夢がかなった」と思っているお茶の間の視聴者が恍惚としているのを表していると思う。

この後クーパーは、ローラが殺される夜に行く。私は「なんでローラを救うことがクーパーの使命なんだろう?」って思った。クーパーの使命は、「闇を暴くこと」で、ローラを救うことではないのでは?と思ったからだ。

クーパーは、ローラの手を取って「家に帰ろう」と言うが、ローラは消えてしまう。私は、ローラは家に帰りたくなかったんだと思う。家に帰っても、お父さんに虐待され続けるだけだから。クーパーは「ローラを家に連れて帰る」ことを「お茶の間に光を届ける」ってことだと思っているけど、実際はお茶の間のTVは悪(ボブ)に溢れていて、ローラはそこに戻って陵辱され続ける気はないんだと思う。

と、最初は思ったんだけど、よくよく考えてみると、ローラが消えるとき、「カリカリカリ」とひっかく音がする。これはデヴィッド・リンチが、ローラのキャラを消した音なんだと思う。デヴィッド・リンチは、ローラ・パーマーのキャラを、これ以上凌辱されたくなくて、消したんだと思った。

赤い髪のダイアンはツイン・ピークスの「リターン」を望む、つまりTVに光をもたらして欲しい視聴者なんだけど、クーパーが新しいローラ・パーマーを探しに行こうとするのは躊躇する。

このシーズンの挿入歌の歌詞は全てこの物語がなんであるかを語っていると思うのだけど、ダイアンとクーパーのセックスシーンで流れる曲もそうだ。

My prayer is to linger with you
At the end of the day in a dream that’s divine
My prayer is a rapture in blue with the world far away
And your lips close to mine
Tonight while our hearts are aglow

私の望みはあなたと一秒でも長くすごすこと
一日の終わりに神聖な夢の中で
私の望みは遠い世界の青色の歓喜
今宵2人のハートが燃えている間にキスをする

この曲をバックにダイアンは泣きながらクーパーの顔を隠す。そして次の朝、「あなたは私が思っていたものとは違う」と書き置きをしていなくなってしまう。

つまりハードコアなファンでも、クーパーが見ているものを見たくない、ツイン・ピークスの本当の目的は見たくない、ただ夢を見せられていたいだけ、ツイン・ピークスを懐かしむ「リターン」を作って欲しかっただけだから、去っていってしまうのかなと思った。

この後クーパーはキャリー・ペイジという女性をローラとして家に連れて帰るんだけど、ツイン・ピークスにローラが帰れる家はもうない。

ドギーは家に帰れて家族に再会でき、めでたしめでたしで終わった。TV番組に求められているのはこういう口当たりの良いドギーの物語で、ローラの物語は居場所がないんだと思った。

クーパーは「What year is this?!(今年は何年だ?!)」と言うんだけど、これは、「TV番組の世界って、全然変わってないじゃないか!本当に25年経ったのか?!」ってことなんだと思う。

キャリー・ペイジが悲鳴を上げるのは、これから自分がローラの代わりにTV番組で陵辱され続けることに対する恐怖からなんじゃないかと思った。

そして最後、ローラの家のショットから真っ暗にドン!とライトが落ちるのは、視聴者が「あ~面白かった」とTVを消したことと、TVに光がなくなったこととダブルミーニングなのではないか?

ローラがクーパーの耳になにかささやき、クーパーは「Ha?!(え〜?!!)」って言うけど、ローラは「TVの世界は変わらない。私はもう陵辱されたくないから消えるわ」って言ったんじゃないかなあ。

ゴードンはアルバートに、クーパーは「自分がいなくなったら、必ず探して欲しい。自分は、2羽の鳥を1つの石で殺すように努力するから」と言ったと打ち明けていて、この「2羽の鳥」ってなんだろう?と思っていたんだけど、これは白い髪のダイアン(お茶の間の視聴者)と赤い髪のダイアン(ハードコアなツイン・ピークスのファン)だと思った。お茶の間は、TV番組定番の勧善懲悪なラストを期待するし、ハードコアなファンはミステリアスなラストを期待する。だからこういう2重構造のラストになったのではないか?

この「リターン」を観たことで、シーズン1、2や『ローラ・パーマー最後の7日間』に対する見方も変わりそうで、もう一回最初から通して観たくなった。

「リターン」は、是非ブルーレイやDVDで観て欲しい。8枚組で、最後の1枚はまるまる「メイキング」になっているんだけど、これがめちゃくちゃ面白い。他のメイキングと違って、単に楽屋裏の出演者たちを見せて親しみやすさを売ってるんじゃなくて、ドキュメンタリーのクオリティで、デヴィッド・リンチがどうやって撮影をしているかが良くわかる。すげー真剣にやっていて、リハなんか俳優の真横に立って演技指導している。私が「くだらね〜」って思ったシーンとかも、真剣に撮影していた。デヴィッド・リンチはFuckとかShitとか言わないって聞いていたけど、これを観るとすげー口悪い!めちゃ機嫌悪いところもあって、怖い監督だと思ったけど、それだけ真剣に取り組んでいるのがわかる。

ああ〜またオリジナルのパイロットから観てしまうだろう。当分新作映画には手を付けられないなあ。
GreenT

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