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北斗 -ある殺人者の回心-のotomisanのレビュー・感想・評価

北斗 -ある殺人者の回心-(2017年製作のドラマ)
2.6
 半端に見ておいて文句を言うのもなんだが、あれだけ出入のある、長くて深い背景を持った殺人事件の決着に「無期懲役」の一言で済ませるのがすっきりしない。何らかの主旨説明があってしかるべきでないか?
 観衆として4時間も付き合えば説明など不要なのはその通りだが、これはドラマであるからドラマ内の示しをきちんと付ける意味で、あのようなとばっちり殺人へのあのような決着にどういう意味が込められたのか、少なくとも原告側に向けて説明するいわれは大いにあると思う。
 その代わりにタイトルに「殺人者の回心」を入れたのならそれはそれで腑には落ちるが、それでもドラマとしては原告側を宥める意思が不自然に欠けているように感じられる。
 このように観衆を変に意識したようなドラマ作りを見せられてはかえって、それまでの、家庭内暴力から里子に出された北斗の暮らしの暗転とその後の殺人に至る経緯の出入りの激しさも煽情性を高める装置のように臭ってくる。
 ドラマ内の出来事そのものの現実感が強い一方で、裁定者らの問題点の整理、判断の物差し選び、反りの合わない事同士をどのように調停したのかが反映された結果である判決が、当然そうあるべきといわんばかりに「無期懲役」だけで済まされてしまう。この非現実感に全く感覚が及ばないとはどういう事か?遺族側とすれば仮に説明されても、意図は理解できてたとしても心はそれに到底従えない事が幾らもあるはずだ。だから、遺族のひとりの捨て台詞も出るわけだが、それを承知で最後にそれを吐かせるドラマ作りのぞんざいさが、むしろ「蔑ろな法廷」に対する「法廷侮辱」のように聞こえるという奇妙なしこりを覚えてしまった。それともそれこそが、このドラマの狙いだったのだろうか。それなら「回心」など幾らでも書いて演じて社会を嘲笑うネタにすればよかろう。
 そしてもうひとつ、詐欺と勘づきながら事務員としてそれを支えて殺される者についてである。ここまで、はっきり現しながら最後の捨て台詞とお涙頂戴の「これ以上死を望まない」との言葉に叩きつける、「黙認する事は従犯に等しい」とする見方の封じ込めも不自然である。殺害現場でのあれらの表明が裁判の過程では弁護側の一言の言及も無く、殺害を抑止できない事情として物語に生かそうとしないドラマ制作者の態度が不自然なのだ。つまり、敢えて沈黙の従犯者を登場させておきながら、その生活者としての已む無きに対する反論を封殺したかのようなところが不自然なのだ。
 こんな視聴率に響くことの言い出しにくさはよく分かっている。しかし、物語だからこそ、それを言えないでどうする?また、世界にこの「沈黙は従犯」という叫びが上がる中、いつまでお涙頂戴ばかりで点を稼いでいるのだろう。

 こうした点、40年も前のNHKのドラマ「事件」は行き届いており、踏み込まぬところは心得ていたと思う。原告側被告側双方が言いよどむ困難な事実の立証の末、大抵、何らかの告諭、説明が添えられた。事件から判決までを一連の出来事とするなら、勝つでも負けるでも突き付けたけじめの言い含めがあって初めて引導も渡されるものだろう。事件も大抵の事で無いなら判決も大抵な事ではないのだから。
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