KATO

このサイテーな世界の終わり シーズン1のKATOのレビュー・感想・評価

3.5
タイトルだけ観てて、「エモがつまってそうだな!」とマイリストに入れていたのを、ようやく閉塞感あふれるGW中に完走。サッと見て、サッと殺して、このサイテーな世界を終わらしてやりました。

スタートから演出が好き!!! ってなったんだけど、なぜにこうもイギリスの漫画原作ってこうもオシャレ小物×ちょっと薄暗い雰囲気×勢いでいっちゃうぜ!感にあふれてるんだろう。といっても、イギリスのコミック原作の作品は1つくらいしか思い浮かんでないのだが。

シーズン1では、「このサイテーな世界」は終わってない(よね?)。シーズン2まで見終えて、ぶっ飛ばしたよな!という感慨にふけっている。

サイコパスだといいながらも全然そんな感じしないジェームズと、マジもんのぶっ飛びガールアリッサが主人公。アリッサがあまりにもヤバすぎて、ジェームズなんて普通の子だよ!! と思っていたのだが、冒頭で殺した小動物の数を言っていたから、たぶんサイコパスに憧れたプチやばボーイくらいだと思っている。

思春期の閉塞感と絶望感って本当にヤバいと思う。話が急に変わったな? と思われているかもしれないけれど、そんなことはなく。思春期≪卒業見込み≫な私ですら、月に3回くらいは世界ぶっ飛ばねーかな~と泣いたり呟いたりしているので、特にガチ思春期でコロナ禍で勉強したりといった日常を送っている子たちの閉塞感って想像を超えるんだろうなと思う。

家族とほぼずっと一緒に過ごす思春期って考えられる? どんなに家族仲良くても、結構苦しくない?

ジェームズのお家は一般的にはとてもいいお家だと思うけど、母親は目の前で自殺している。アリッサの家は、火を見るよりも明らかな感じで毒親。ぶっ飛びガールにもぶっ飛びガールになる所以があるわけだ。
そんな直接的に愛に触れたことがない二人が、いびつに始まった関係のなかでぶつかりながら、人を殺したりしながら丸くなっていくのである。

シーズン1を観ていて思ったのは、「親って当たり前に完璧じゃないよな」ということ。親というだけで幻想を抱き過ぎだし、もっとフラットに見ていけるようになるといいよね。わかっているけれど、妄信しちゃうんだよなぁ。だから、勝手に私たちは絶望しちゃう。
私はいたずらに年を重ねただけでまだ子どもがいないから、どうしてもジェームズとアリッサ目線で「おいおい、そりゃあねーだろ」なんて思っちゃうし。それでも、「それはやめときなよ……」なんて近所のオバサンになったりもしながら観ていたりもしたが、なんだかんだ憎めないんだよな。

ささくれだちまくっている思春期がちょっとだけ愛おしくなるような、理不尽な大人に一緒に声を上げたくなるような、なんだか“近くにいてくれる”感じのするドラマだった。
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