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砂の塔〜知りすぎた隣人のMeeのネタバレレビュー・内容・結末

砂の塔〜知りすぎた隣人(2016年製作のドラマ)
2.0

このレビューはネタバレを含みます

ママ友地獄、業績地獄…現代に蔓延る等身大の〝地獄〟が感じられて背筋がヒヤリとする人物設定。

しかしハーメルン事件は「母親失格」の母親に罰が下されるので、母親とは、について一つの考えを示すドラマなのかなあと思いきや思い切り偏っていた。
やっぱり一つの大勢を納得せしめる、けれど理想としか言えないような主義主張があって、それを遂行する為には手段を問わないからこそ警察に追われる…という悪役が1番感情移入できるし、ともすればかっこいいとも思えてしまう。
だが今回の悪役は「母親は自分の時間を全て子を見守る事に当て、子を絶対的に盲信すべき」としか取れない主張でエゴ丸出しな感じが非常に気に喰わない。
いやこれはこれで理想としかいえない主義主張なのか…しかし物的証拠が揃った息子が犯罪してるかもしれないという事実について「息子を疑うの?」みたいなのは…最終的には美しい感じに収めてたけど納得いかない。
〝盲信〟としかいえない子育てもまた母親失格になり得る。

「母親って苦労の数でなるの?算数みたいね。」

このセリフは印象的だなあ。
『そして父になる』を感じた。
産んだだけでは母親にはなれない、弓子さんの主張する苦労の足し算のように育てただけでも母親にはなれないのなら…親って何なんだろうね。
私は苦労の足し算と言われようと産みの親より育ての親だと思うけどな。
となると養育義務を果たした者が親ともとれるけれどネグレクトギリギリな、会話なし食事もお金だけポンと置いていく親もいるしなあ。
案外〝親っぽい〟という曖昧な概念でこの世界は成り立っているのかもしれない。

後半は【いじめに気付けない母親への断罪】にスポットが当てられていた。
いや…言えよ!!!!
自分の気持ちすら私は正確に言語化できない。
そして私だけでない全人類が気持ちの正確な言語化はできない、これはハッキリと言える。
人間は〝怒り〟〝悲しみ〟〝嫌悪〟〝喜び〟〝憎悪〟etc..の一つのみを抱える訳じゃない。
それぞれの感情が少しずつ入り混じっているからこそ平静を保っているのであって、平静が崩れるのは少しずつ入り混じる感情のどれか一つの割合が一時的に増加しただけだ。
各々の感情の割合を把握できるのか、そもそもどの感情が入り混じっているのか。
私たちがそれを認識するのは無理であって、自分の感情の認識すら不可能なのに他人の感情を正確に察知するのはハナから無理に決まってるだろと。
だからこそ私たちはコミュニケーションをとる。
自分の思う事、自分の感じる事を認識できる範囲で伝え合う事で欲求を満たし合い、良好な関係を築く。
しかしコミュニケーションは想像力ともいえる。
例えば、私が「怒られて悲しい」とコミュニケーションとった所で、相手は「自分が」怒られて悲しいと感じた経験に照らし合わせた「自分の」価値観に当てはめた想像をする。というかそうするしかない。
だがそれは状況も違えば怒る相手との関係も言い方も全く異なる為、実際には私が感じた悲しみよりも大きなもの、または小さなものを想像して「それは辛かったねえ」と慰める。
それでも私は「理解してもらえた」と満足して気持ちが治るだろう。
そう、気持ちを共有しあうメインの手段であるコミュニケーションでさえ万能ではないのだ。
だが記憶や感情を共有できる訳でもない(というかむしろしたくない)現状ではコミュニケーションに頼らざるを得ず、何とかそういった誤差を埋めようとコミュニケーションを重ねる事で人間関係を、今作においては家族関係を構築してきたこの人類の歴史を冒涜するかのような〝母親は子の気持ちを子が自ら言わずとも完璧に理解しろ〟というトンデモ理論…非常に胸糞悪い。
弓子の偏執的ともいえるストーカー的行為で和樹のいじめはわかったのであって、それって専業主婦で時間に余裕のある人しかできないよね。
仮に専業主婦であっても下の子の育児や家事に追われる場合は無理だし。
共働きやシングルマザーはどうなんの?
24時間体制で子を見守って初めて親って言えるの?
しかもそれって母親だけの仕事なの?
育児は母親だけのもの?
最後は何か綺麗にまとめてたけどさ。
ドラマ制作側も上記のトンデモ理論に対するアンチテーゼとして制作したのだろうが、いかんせん伝え方が下手すぎる。納得できない。
ともすればアンチテーゼじゃないかもしれない可能性を秘めたストーリー展開は何かもう怖い。恐怖。
スリリングなドラマに仕立てようとし過ぎてドラマの面白さ中心に展開してるから結局何が言いたいの??状態。
あまり悪く言いたくないが脚本家にもう少し頑張って欲しかった。
でもいじめはデリケートな問題で中々親だとか近しい人には言えないものだし、こちらから学校生活の事を普段からこまめに聞き出す等の積極的コミュニケーションをとるべきなのでしょうね。
まあつまりこのドラマが伝えたかった事はこの「積極的コミュニケーションをとりましょう」というのに尽きる。

で、問題なのはこの積極的コミュニケーションを母親に全部ぶん投げる事だよ。
「母親なら子に全てを投げ打って当然でしょう?」という2016年に制作されたとはとても信じられない旧態依然とした母親像…
父親の存在意義が家にお金を運ぶ事でしかなくなったね。
8話で夫と手を取り合って「二人で頑張ろう」みたいな事言ってたけど旧態依然とした母親像へのアンチテーゼにしては弱過ぎるし伝え方がやっぱり下手。
山で遭難したお母さん助け出したりしたけどむしろ助け出すのは子どもの方にした方が良かったんじゃないの。
そこで子育てに対する責任感が芽生えて男女の垣根なく子育てに参加する現代の風潮というか理想像を伝えた方がまだ納得がいく。
まあ子どもの方助けたらドラマ的には生方コーチに亜紀をとられる感じになるけども(笑)

そしてありがちな悪役の悲しい過去で犯した罪をチャラにする感じやめろや…
『ファニーゲーム U.S.A』の制作意図に共感を覚える私には非常に受け入れ難い。
綺麗な言葉を重ねて誤魔化そうとするな。
そしてついでに亜紀の母親も実は良い人エンド。
「一緒に暮らすだけが母親じゃない」、そうだね。それは納得。
親とは精神的支えなのかもね。

以上をまとめると…下手です!!!!
物凄く!!!!
私が女性だから余計に苛立ちを覚えるのかもしれないけど、弓子を悪役とする事で偏っているけどでもそれって理想の母親像の一つだよね〜みたいな見せ方が非常に胸糞悪い。旧態依然として偏りまくりだろうがよ。
そして意外性狙いましたよ!予想してなかったでしょ!びっくりした!?みたいな共犯の後出しジャンケン感凄い。
もっと早い話数から伏線出せよ…
最終回間際に申し訳程度に伏線出すのは納得いかんぞ。単に私が気付いてなかっただけかもしれないけど。
んで真犯人をあんだけミスリードしまくっといて初めて見る顔にするのは如何なものか。
最後の最後でストーリーまでお粗末になるのはもう何か…何も言えない。
『そして父になる』や『万引き家族』を撮った是枝監督ってやっぱり凄いんだなあ。

でも色々と考えるきっかけにはなったので2点。
私の愚痴ともいえるレビューにも不備はあるので今後も色々と見直し見返し、考えていきたい。
Mee

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