せーじ

おかえりモネのせーじのレビュー・感想・評価

おかえりモネ(2021年製作のドラマ)
4.5
そろそろフィルマークをお休みするのも終わりにしようかなと思っていた今年の5月から見始めてはや半年。
完結をしたので、つらつらと感想を書いていきたいと思います。

結論から言うと「自分の心の中でしみじみと味わいたい、大切な作品」となりました。長い朝ドラの歴史の中でもやらなかった意欲的な挑戦にいくつも挑み、そんな中で朝ドラそのものに対しての限界にも肉薄しつつ、最後までそこに向き合おうとした作品であると言えるのではないでしょうか。もちろん、このやり方そのものに賛否が分かれ、一部には深い酷評をされてしまう部分があるというのも理解できるのですが、個人的には、様々な制約があった中で挑戦したこと、やり切ったことそのものが素晴らしいと思います。

個人的に最大の挑戦をしたなと思ったのは、登場人物の演技上の意思表示が全体的にハイコンテクストにまとめられており、言葉ではなかなか本音を吐露させずに演技演出でみせようとした姿勢です。このやり方は、実は朝ドラというフォーマットにはまったく合っていません。何故なら朝ドラは、平日の朝に15分、半年間放送され続けるドラマなので、ながら見をする人が多い番組だから、です。なので「わかりやすさ」が重要なのですよね。しかし、この作品はそういう意味ではとてもわかりにくい作品だとも言えてしまいます。どちらかと言うと、夜の連続ドラマや映画に近いやり方をしているのですね。実際登場人物が何をしているのか、何を考えているのかわからないという声は放映中も常にあり、それが原因で叩かれることも多くなってしまっています。

しかし自分はこのやり方はアリだと思いました。何故なら、このドラマが描き出そうとしてきた題材と合致していると感じられたから、です。

このドラマは「人と人や人と自然との繋がり」や「人と人との距離について」を描いてきたのだと思います。個人的で勝手なイメージですが、寡黙で我慢強く、限られた場所でしか本音を吐露しない人々の姿は、東北の人々の人間性をリアルに捉えていると感じましたし、ひいてはそれが現代を生きる人々についてのイメージの一端であるように思えたのです。
ディザスターによって物理的にも精神的にも分断させられてしまった人々に、何が必要なのか、どう心を通わせていくべきなのかを、この作品はしぶとく、粘り強く描き続けて来たのだと思います。出来はどうあれ、非常に今日的な題材だと思いますし、2021年という今だからこそ、描かれるべき題材だとも思うのです。

そういう話を、朝ドラというフォーマットを使って、そういう手法で描いたと言うこと自体、すごいことだと思うし大きく支持したい。自分はそう思います。

もちろん、それをやりきるにはまだまだ限界があり、拙い部分も少なくない作品だとも思います。例えば朝ドラの演出は、複数の担当者が週ごとにわかれて描くシステムなので、週ごとの演出の味付けが微妙に違って感じることがあるのですよね。これはもう少しどうにかならなかったのか、という気もします。
また、半年間120話というボリュームに対して扱おうとしている内容が深すぎてしまい、それなのにパンク寸前にまで様々な要素を詰め込んで居るようにも感じました。その割に主人公が仕事によって何かを達成させるというわかりやすいカタルシスは、ある程度ところから先は追求していないので(それは正解だと思いますが)、もう少しどうにかならなかったのか…という思いは強く残ってしまいました。
具体的には最終週のある重要な人物による「告白」ですよね。
たぶん映画や小説だったら気にならなかったやり方だと思いますし、本来であればこれまでの積み重ねを経た主人公が、ようやく立ち向かう内容だと思うのですが、しっかり観ないと分かりにくい演出のためか、そのことについての解決も駆け足になってしまうように感じられてしまい、結果その問題の取り上げ方そのものが薄く見えてしまうのは残念だったと思います。
ここは朝ドラというフォーマットの「限界」だったのでしょう。

ただ、思うのですが「震災」という題材は、朝ドラで取り上げられることの多い「戦争」と同じような形で取り上げられていくべきものだと個人的には思います。
本作は『あまちゃん』で大地に刻むことができた足跡を更に前に踏み込ませた第一歩として評価出来るのではないかなと思います。前に歩き出すことが出来たというのはものすごく重要であると思うし、批判を受けとめる強度も、未来に差し伸べようとしている手も、自分にはしっかりと感じられたように思います。

この作品で描かれて来たことがさらに次世代の作品に繋がることを祈りつつ。
せーじ

せーじ