ひば

誰も知らないのひばのレビュー・感想・評価

誰も知らない(2020年製作のドラマ)
5.0
現代叙事詩だった。今の世界のやり方で今を生きる人間の信仰を守り、そこに属さない人をつくらない。しかし属性が個人を決めるわけでもない。善も悪も人を前には等しく平等である。身近な人への救済。何も持っていなくとも与える人間になれるし与えられる権利があること。正しいことをするにはその時に応じた正しさを回収吸収し続ける必要があること。泣いた。自分の再構築と肉付け。すごく良かった。とにかく一番素晴らしいのは始まりから次回予告の終わりまでが1つのパーフェクト作品を維持していること(なので輸入韓ドラスタイル三種の憤怒ことダサポスター、ダサ邦題、細分割許すまじ)特にウィニングショットはラストにある。毎度心を持っていかれる敬虔な締め方。タイトルコールから予告の作り方まで今まで見てきた韓国ドラマ中でも自由度がかなり大きく秀逸な作品に育んでいる。例をあげるとアスペクト比を絶妙に変えたり9話予告映像変わらないから壊れてんのかと思ったら写真一枚だけ出したりする。この作品は問題作と銘打たれており、同時間視聴率No.1に演技大賞までとっただけある。話題になったのはおそらく宗教(すごいでかい改宗宣言もあるし聖書に穴をぶち開けたりもする)が大きいのだろうが、私にとっては集合のファミリー化同一化へのNoと、"犯罪はすべて犯人のせい!警察の無能さではない!"と誰もが一瞬忘れることを反復しながら、秒で生きすぎててちょっとでも目離すと何が起きたかさっぱりわからん思春期の蟠りから青年犯罪までの推移に一体どこまで保護者が責任を持つのかという問題にいかに答えを出そうとしているかの模索が先進的に感じた。
主人公ヨンジン刑事がとにかくかっこいい。どこか天然みたいなギャップもえとかない。なんと物語を牽引する第一幕は高校生ヨンジンこと『アジョシ』のキムセロンちゃん!彼女は出世一筋ではなく自分のすべきことを一心不乱に遂行していたら自然と上に乗ってただけ。魚をしばいて叩いて箱に畳んでいれるみたいなしばき方もする。電話に出るとき部下とか見知った年下の子相手だと『はい』と同じ音程で「んー」って出るのなんか癖になるし、泣き声が完全に唸り声で喉まで出かかった吐瀉物が出てこない。物語の鍵となる中学生ウノ(貸した本の最後に感想書いて返してくる子…ッッ)とは親子ほど離れているが終始"友達"なのが非常に重要であり、これは前記したファミリー化へのNoであり終始2人とも宗教に否定的でないのもポイントである。絶対にウノや子供たちを責めないが代わりに自分を責めてしまうところに心が痛む。
対になるように出てくるソヌ先生は今までの刑事ドラマにおける甲斐甲斐しい年下女役を引き受けた記念すべきキャラクターであり、自分も周りも省みず危険に飛び込むヨンジンを気にかける男性。時に1人ラブコメにも見える。折ったら死にそう。「今は言えないけどいつか話したい」と隠し事を隠していますと打ち明ける奇妙な人。自分にも生徒にも同等のチャンスがあると唱える人。キャラクターに深みがあるのはこの人はずっとハの字で僕が悪いんです、または自分こそ被害者です顔をしていて、「そういう報告は笑っていうもんですよ」と女に笑顔やファッキンアプリシエイト家族の素晴らしさを説く。それが宗教要素とうまく重なり疑似家族を形成して旧時代的(忌避される儒教的な)支配拡大を行ってること、血縁でない者同士家族とは切り離したつながり支え合いを称えるを同時にやっており、先生は前者、主人公は後者である面白さがある。
保護者(大人)の責任についても非常に密に接した描き方で、非日常の象徴である刑事と日常の象徴である先生双方の立場から如何に子供を守るかの視点での一致も相違もあるが、子供は絶対に絶対に守るべき存在であるということはお互い絶対に譲らないので物語の安心ポイントがでかい。先生は近すぎるから好まれるのと同じくらい嫌われがちなのもしょうがない。刑事側は敬意を持って接しながらもまず「学校は?」と気にし、協力してほしいことは写真を見せるだけなどと最低限にしかし『頼れて助かるよ』と誉めることを忘れず、子供が知るべきではないことは表情を変えず穏やかに遠ざける大人の鑑が見れただけで、さらに成長を早まる子供に「今に満足してる、ゆっくり大人になるよ」と言わせたの非常に良かった。
それから母親の描写も非常に変遷があり、相互理解どころか子供の靴のサイズも知らず、「息子はお前が手にしたもので一番いいものだ」と他者から自己否定攻撃され、なんなら息子は近所のおばさんに母を求めている(ように見える)など、これが父親ならそこまで責められることもなかったことであろう罪深き母親が再び保護者に戻ろうとする描写では、"母の料理"が手作りではなく購入したお惣菜だったことが非常に心に残った。料理ができて当たり前が母親ではない。母というジェンダーロールから完全に降りた屈指のシーンでありとても気に入っている。主人公を責め立てここまで言われたら引っ叩くキャットファイトを予感させるところで殴らず服を掴んで外へつまみ出し「私は他人だから何を言われてもいいけど自分の息子の前では気を付けなさい、あなたの暴言に傷付く、誰かが親切にしてくれてもあなただけが母親なんだから」と言うシーンも良かった。女の子も元気にサッカーしてるよ。
個人的には10話が神回だな~思ってて、完全に自殺する人のカメラ視点で暗転、右下の10話が右上にリール音と共に上ってくとこからもうおもろだったし、過去シーンの追いかけシークエンス撮ったのおもろだったし、大人どもくたばれdi~eコースはウェルダン炙りでな!以外の感想がないクソ共が善良な子供の善良ムーブに振り回されるのを見て、勝手に物を漁るクソ共代わりに向かうところ敵なしわたしの部屋を漁らせてやりたい物質依存の生活をくらえところかしこに点在する物に意味深さを結びつけてろリスクテイクってやつを見せてやるぜ!そういえば韓国作品のスマホ大体青くない?縛りでもあんの?それとも青がメジャーなのかな?聖痕といえば『マッドマックスFR』でマックスが手の中心を、フュリオサが脇腹を刺されたことを思い出した。どこにも神の気配がおる。
この作品は選択がテーマである。どんな物事にも選択が迫る。しかし時に選択に疑問が生じる。神は助けることもあれば沈黙で自由を与えることもある。選択とは神が与えるものなのか。かつて昔存在したのは哲学と信仰だった。そこに科学はなく、神の概念とはあらゆる謎が解明されても存在するのだろうか。可能性があればなんでも起こりうる世界で、神への問いかけがいらなくなったら私たちは一体どこへいくのか。謎が明かされると共に信仰心も消え人智を超えた事象の説明に神が要らなくなった時、私たちは一体誰に助けを求めればいいのだろう。人間は今、神の啓示と良心のささやきの狭間にある過渡期なのだろうか
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