このレビューはネタバレを含みます
素晴らしく美しい愛の探求の物語。
ヴィムヴェンダース監督作品の主人公や『セックスと嘘とビデオテープ』の主人公にも似た、形容し難い他者との断絶、疎外感、孤独を抱えるコネル。主体性がなく、相手の言動を待つのみで、自分の望みが何か、欲しいものは何かもわからない。ただ、みんなの前で演じてる"よそ行きの姿"ではなく本当の自分を見てくれる人を求めている。
その実は、コネルはToxic Masculinity (有害な男らしさ)に蝕まれている。女性に対して優しく酷いことを言わないので旧来の男らしい男性には見えないが、それは男社会での生きづらさを抱えているから。他者に心を開けない、本心を見せられない状態こそ、蝕まれている証だ。それは貧しい母子家庭という環境も影響しているかもしれない。マリアンとの家庭の経済格差も、踏み出せない一因だろう。
近しい人の死にあってさえ自分の弱さを曝け出せずにToxic Masculinityがさらにコネルを蝕むが、その後にコネルが初めて本心を他者に吐露する場面は本作の白眉。
マリアンは、父からのDVや、母と兄から執拗に嫌われているのせいで、本当の愛が何かわからない。愛して欲しいと言葉にするが、愛され方がわからない。
母親が父親に受けた仕打ちから"暴力=愛情表現"になってしまっている。
兄はマリアンの頭脳に嫉妬して嫌っており、父親と同じく暴力で支配しようとしている。
母親は夫からの暴力がトラウマで、兄からマリアンへの暴力、暴言を見てみぬふり。
この世界で唯一の理解者同士の2人が困難を乗り越え支え合った長い年月の結末の美しさに言葉を失った。最後に提示される「愛」の表現は、何よりも美しく、感動的だ。
デイジー・エドガー・ジョーンズが可愛すぎるので、ブスとか醜いとか言う男どもが意味不明すぎて、最初のほう全然話が入ってこなかった。