ま

俺の家の話のまのネタバレレビュー・内容・結末

俺の家の話(2021年製作のドラマ)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

第6話が素晴らしすぎたので、とりあえず備忘録のために。

・池津祥子、阿部サダヲというクドカンファミリーの登場。神回にならないわけない。
・「秘すれば花」作詞家、作曲家が「なかにし札」と「筒美洋平」。去年亡くなった名作詞作曲家へのリスペクト。
・寿三郎の「マイウェイ」は傑作。第6話までだけでも、彼がどんな想いでこの歌を歌い、家族がどのように受け止めているのかがグッと伝わってくる。
・お風呂のロッカーで寿一が怒鳴るシーン。寿一がロッカーを叩いたり蹴ったりする強さに対比して、怒られている寿三郎の弱さ。半裸で体はヨボヨボ、車椅子のお爺さん。昔は強弱の立場は逆だったはず。月日の流れと共に変わりゆく家族の関係性。
・古典とサブカルチャーの対峙。古典は確かに美しく、立派であるけれど、家族をまた結びつけたのは「潤沢」というサブカルチャー。
・アイドル=虚構、という描写。
「顔が違ってもどうせ気付かない」という言葉。簡易的なフェイスシールドだけで観山家はステージに登壇。ライブは大盛り。グッズも大盛況という皮肉。観山家は偽物の潤沢なのに、ファンが見ているものは果たして?
・さくらと寿一の関係も。さくらの好意のきっかけ=レスラーマスクと山賊抱き。どちらも寿一の顔は見えない。寿一の本質ではなく、覆面の顔の見えない"存在"に恋をしている。


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からの.....最終回。衝撃、衝撃、衝撃だったけれど、思い返してみれば初めからここに向かって全力疾走してきたと気づく。
実は、第1話からの寿一によるモノローグは、「離見の見」だったのではないか?死後の世界から、生きていた頃の世界をメタ視点で見直す、そもそもずっと「(俺のいた頃の)俺の家の話」だったのではないかと感じた。

ああ、だから能だったのか。最終回前まで、隅田川の親子構図を完全にミスリードされていた。
能の舞台はあの世とこの世の融合地点でもあって、だからこそ寿一は最後舞台に立っちゃいけなかったんだね。フィクションがノンフィクションになっちゃうもん。
クドカンらしい、「見えない者への意識」の世界観を存分に表現した長瀬への敬意が深く払われた、最高傑作でした。
長瀬は天才だよ、人間家宝だよ。これからの日本ドラマ界が余りにも寂しいよ。
ま