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僕らのままで/WE ARE WHO WE AREのTenKasSのレビュー・感想・評価

僕らのままで/WE ARE WHO WE ARE(2020年製作のドラマ)
4.5
あらゆるものが、ちょうどパラシュート降下訓練の設備のように宙吊りだ。アメリカでもイタリアでもない。大人でも子供でもない。MでもFでもない。LでもGでもBでもTでもない。もしかしたらQでもないかもしれない。そしてこれは映画でもドラマでもない。

「ない」を「である」に変えるのは、環境か、大人か、ほろ苦い失恋か、自らのルーツか、それとも巨大な社会のうねりが生み出す「分断」か。
言うまでもなく多くの分断を作り出したトランプの大統領就任と、時を同じくして悲劇が起こり、閾値を超えたエロスとともに溶け合った境界を、あの夏を、戻ることの出来ない記憶の彼方へと推し進める。破壊とバッドトリップでは喪失を埋め合わせることはできない。選挙にもいけない彼らの運命を決めたのは、あまりに不器用な大人たちだ。

しかし、まだ終わっていない。そして始まったばかりだ。この世界には、自分たちの中には、まだ初めてのことが、何も決まってないことがあるのだ。そして決め直すことができることも。
それが後になってから分かること、即ちTime will tellだというのなら、現在を見つめることしかない。できることをするしかない。それは祈ることかもしれず、はたまた好きなアーティストのライブに駆けつけ、着たい服を着て、本を読んで、映画を観て…好きな人を好きになることかもしれない。たゆたい揺れ動く自分のことを好きでいることだ。確定した自己なんてのはきっと「存在しない。」

誰にでも陽光が当たり、誰にでも風が吹き、そして誰もがいつかは死ぬという必然に対して、誰かが誰かを見ることで、お互いの存在を認識する、その視線の交換の意味、すなわち他者との関係とは、あらゆる点において常に揺れ動く。

とはいえ、内側で揺れ動く「私/僕」を外側の揺れ動きの中で、「私たち/僕ら」として共有することがきっとできるはず。誰かでなくあなたのそのぼんやりとした輪郭と、漂いながら一緒に、前へ進み続ける。

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1話
フレイザーのコンプレックス
性のメタファーみたいな描写が多い。

2話
ケイトリンのコンプレックス
兄貴がメタルギアやってた?
ヒジャーブ、MAGAキャップ、父親の服ではなく、フレイザーのくれる服。
パラシュートジャンプ。

3話
祭り。
ケイトとフレイザーの現状へのアイデンティティとセクシュアリティの疑問の共有から発展した、いわゆる恋仲として型にハマっていく男女の仲とはちょっと違う関係性がくすぐったい。
親世代の子供からの見え方。
レファレンスが全然わからん。

4話
凄い。時間の使い方が最強の回。
アンチャーテッド?を放置してループする溺死の使い方。
フランク・オーシャンしかわからん。

5話
最高のバリカンシーン。
ジョナサンが個人的に一番好き。
どこかで見たことある役者さんだと思ったら『シノニムズ』のトム・メルシエ(メルシエール?)!!

6話
ジョナサンとフレイザーがお出かけ。
ケイトリンは髪を剃ったから外出禁止でお父さんとお出かけ。
バックストリートボーイズを歌うシーンが最高。「I want it that way」という曲、ジョナサン世代のアンセム的な部分ある。
娘に嫌われてるケイトパパ。
エンドロールでトランプ大統領就任。

7話
4話と対をなしている。素晴らしい。
曲がりなりに積み上がってきた人間関係が、事件を発端として分断、崩壊。
相変わらずレファレンスがレディオヘッドくらいしかわからないボケだが、そのレディオヘッドでジョナサンと踊るシーンで泣く。先がないことを悟ったのか、声にならない叫びをあげるフレイザー。個人的なこのドラマの感情のピークはここ。

クロエ・セヴィニーが着替えるシーンで、スターシップトゥルーパーズ思い出してすみません。

8話
ライブに行く回。本当にライブに行く回。
デヴィッド・ボウイの「アブソリュートビギナーズ」のかかり方のわざとらしさ。ご褒美みたいな回。
フレイザーが走り出した時、菅原文太の声で「愛だ、愛。」って聞こえた(聞こえません)
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