このレビューはネタバレを含みます
ジョジョ4部実写化の失敗から久しい。
今思うにあの失敗は「ジョジョの奇妙な冒険」という特異な世界観の構築が困難であったことに起因すると思う。
「ジョジョの奇妙な冒険」という題名の通り、奇妙なことが日常に溢れるその世界観を構築するのは土台不可能だったのだ。
それと比べると今回の実写化は大成功だった言える。
その理由として1番にあるのは、一重に「奇妙」を岸辺露伴に集約したことだと思う。
このドラマには岸辺露伴以外のスタンド使いは全く出ていない。お話の構成も岸辺露伴という「奇妙」が他の「奇妙」に自分から関わりに行くというもので、「奇妙」はあくまでも非日常的なものとして存在しており、そのうえで人間側(あえてこう表現する)の「奇妙」は全て岸辺露伴に集約されている。
つまり、映画で失敗した「日常にありふれる奇妙」ではなく、「日常の中に特異的に潜む奇妙」を作り上げることで、実はジョジョの奇妙な冒険に含まれていた「不思議発見」的な要素を強調したのだ。
スタンドの像が見えず、呼称が「ギフト」だったのも印象的だ。これは、この物語があくまでも岸辺露伴という人物を他者の目線から見たものであるということの象徴であり、私たちはメインストーリーの「ジョジョの奇妙な冒険」のような渦中の者の目線からではなく、その物語を第三者として見届けることしか出来ないということを視聴者に伝えるためのものだと私は考える。スタンドという呼称だと岸辺露伴が起こす「奇妙」な現象にある程度の説明が着いてしまうため、ギフトというありふれた呼称でありそこから現象の説明を想像できづらいもの選んだのだ。
この再構成は「ジョジョの奇妙な冒険シリーズ」を実写化するにおいて、大正解だと思う。
これによって岸辺露伴の「奇妙」さは主人公と呼ぶにふさわしくなり、魅力が十二分に伝わるようになっていた。
何度でも見返したくなるような不思議な作品だった。