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クイーンズ・ギャンビットのmegurosのレビュー・感想・評価

クイーンズ・ギャンビット(2020年製作のドラマ)
4.2
孤児院の地下室でチェスと出会い、天才的な才能を開花させたベス・ハーモンが、男だらけのチェス界でチャンピオンを目指す。

と、当初は女性のエンパワメント的なドラマかと思ったが、むしろ性別を超えたテーマとしてそのエンパワメントの先を描いている。それは、チェス盤の中にしかこの世界で安全だと感じられる空間を持ち得なかったベスが、そのチェスを通じて社会や世界とつながり、”自分の居場所”を探す話だということ。

ベスのチェスの才能は優れた数学者であった母親から受け継いだものだろう。しかしだからこそ、発狂し自殺した母親のように自分もなってしまうのではないかとベスは恐れる。酒で不安を紛らわせ、自分を信じられないから薬に頼る。この世界は、そして男は敵であり、裏切られるかもしれないから誰にも頼らずに生きていくのだ。ただ、自分だけではどうにもならないその局面に立たされた時、今ある自分でさえ誰かに支えられていたことにベスは気付いていく。

”自分の居場所”が重要なテーマだからこそ「家」や「街」や「ベッド」は象徴的に描かれていくわけだが、”自分の居場所”とはそうした場所ではなく、人とのつながりによって生じるものだということが分かってくる。初恋の相手でもあるゲイのタウンズや、血縁を超えた家族関係を結ぶジョリーンや、施設を出た後もベスの活躍を見守ったシャイベルさんや、チェスを愛するベニーやベルティックだったりがその人として立ち上がってくるが、そこに後半ソ連もが加わっていく流れが面白い。

このドラマで描いている時代は1950年代〜60年代。米ソ冷戦時代だ。モスクワへの渡航をサポートするというキリスト教団体は共産主義は危険な思想であると言い、国やメディアは敵国に勝つことをベスに求めた。しかし、ソ連はチェスの先進国。チェスプレイヤーは尊敬の対象で、街中でも市民がチェスに興じている。国の代表決定戦が大学の体育館で行われるアメリカとはえらい違いだ。ベニーはソ連プレイヤーの強さを「チームで戦ってくる」と言い、アメリカの個人主義と比較していたが、彼らはチェスの対戦相手ではあっても、決して敵ではない。むしろチェスを愛する同志だ。ラストにベスが白いコートを着てモスクワの街を歩き、チェスを一局指すのも、そこが彼女が見つけた居場所の1つだからだろう。

少女から大人へと成長していくアニャテイラージョイを眺めるだけでも眼福だが、衣装や美術や撮影も美しい。ソ連の方々もカッコよく、品位のある演技演出で、ロシア人=悪役というアメリカがこれまで描いてきたステレオタイプを壊しているのも現代的だった。最終話のエンドクレジットもカッコ良い。
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