masat

クイーンズ・ギャンビットのmasatのネタバレレビュー・内容・結末

クイーンズ・ギャンビット(2020年製作のドラマ)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

聳り勃つチェスピースが、
少女の身体を貫く。
そんなイメージが前半にあった。

一人の少女の彷徨いと成長、その先に見え隠れする国家間の威信の物語・・・かと思ったが、なかなか一筋縄ではいかない。
セクシャルなイメージやメタファーが、随所随所に登場し、豊かな映像を放出しながら、その闘いすら官能的に見せていく。
想定外の官能ドラマだった。

ヒロイン“白い人”の、脳と身体に入り込み、通り抜けていく人々がとても魅力的だ。

盤上への世界へ、少女の意識を覚醒させる最初の人は、清掃用務員の黒人と“クスリ”。彼女の脳と身体を目覚めさせ、幼い身体をまるで犯すかの如く魅了していく。
その後、続くのは、
双子、男の匂いを教える記者、ドストエフスキーを原語で読もうとする学生、セクシャルハラスメントを仕掛けてくる13歳の少年、初の州優勝を決めたときの相手の童貞青年、ニューヨークのカーボーイ・ゲイ、さらには、パリの両刀女・・・最後に立ち開かるのは、頑強な肉体と逞しい顔を持つ、まるで聳え立つ様な存在のロシア人。

そんな(監督のフェティシズム満々の)男たちが、彼女の身体を通り過ぎる。
そしてクライマックス、そんな彼らの思い出と想いを一身に背負い、最後の闘いに臨む。個人の限界を彼女は初めて超え、“繋がる”ことでより威力を放出した。

さらにエピローグが素晴らしい。
頂点に達した彼女を迎え入れるのは、すべての煩悩から解き放たれ、本当の楽しさを盤上に見る“老人”たちだった。その老人たちが、塒を巻き、彼女を包み込む様に迎えて、物語は終わる。
“白い人”が、頂点より先の辿り着いた場所、それはチェスへの純粋欲望のみが溢れる、真っ白な世界。“白い人”は、そこではじめて昇天するのだ。

官能美とフェティシズムという観点では、
盤上の闘い映画においての最高位である『ボビー・フィッシャーを探して』(93)や『3月のライオン【前編】【後編】』(17)(17)(美しさという意味での『とらばいゆ』01)を上回っていた。
masat

masat