ささ

ボーイズ・ドント・クライのささのレビュー・感想・評価

ボーイズ・ドント・クライ(1999年製作の映画)
4.0
アカデミーは
肉体改造や過激な役作りとか
女優の髪切ったり脱いだりするのに弱いという印象。
ダラスのマコノヒーとジャレッドレトしかり、ヒースレジャー、グウィネスしかり。
それも役者の重要なポイントだし、本当に尊敬できますが、
演技は…?とおもうときがあたまーにあります。
上にあげた人たちの大抵は演技も半端じゃなかったですけど!

で、この映画もあらすじからして、髪切り、脱ぎはあるだろうし、そのパターンか?と、ヒラリースワンクなのですごいのはわかってましたが、心のどっかで思ってました。

いやー…




土下座するんで許してください。演技だけで神様レベルでした。サッカーで言ったらフランスW杯のブラジルvsフランスのロベカルフリーキックでした。
そのくらいすごかったでした。

ミリオンダラーベイビーの記憶薄れすぎてました。ヒラリーこんなにすごいんでした。
男でした。俺よりイケメンでした、顔も中身も男でした。

初めからありのままを見せて接したらキミ悪がられるだろうし、親しくなってから明かしても突き放されるだろうし、突き放さなくても、ずっと嘘をつかれていたことにショックをうける人もいるだろうし、恋愛になったらなおさらだし…

理解なんてできっこないけど
この映画はすごいぞ。
なにせ
この世の人間は二種類で、それは男と女だ
という僕の概念をぶっこわしてしまったのです。
観終わったあと、自分が男なのか女なのかしばらくフワフワしてわからなくなりました。
男の身体だし、考えも男とのほうが合うし、やりたいことも男がやりたいことだし、仕草も男だし、好きなのは女だし、
でもそれがなんだ?なんでそういう共通点だけで男って言えるんだろう。
そういう典型的な特徴が大別して二つに分けられるからってどうして二つの性別にわけたんだろう。
それは生物学的、便宜的区分にすぎないのではないのか。
そんなにバッチリ分けられるほど単純なんだろうか。
男女、性のステレオタイプが強い支配力を持ちすぎなんじゃないだろうか。
ルール=多数擁護
座標上のx軸プラスが女性でマイナスが男性
y軸プラスが男性でマイナスが女性
x軸は身体、y軸は精神
この座標上の分布が原点からみて左上と右下に多くが固まってるから二種類に思えるだけなんじゃないか?
その多数を擁護する形でルールや常識があるからおかしいんじゃないか?
ルールは必要、常識も必要。
でもそれは生物学上、便宜上での話。これを意識しないといけないってことですか。
って言葉で語れても実際はすこぶる難しい。
たぶん映画見る前でもこのくらいはわかってたし、語れた。
でも書いてる時の僕の心持ちがまるで違うんだから、この映画には価値がある。価値を与えたのは、こんな実話があったことを広めようとした監督とヒラリーを中心とした役者たちの演技。

僕は座標の左上にいますが、
左上にあるすべての点の平均値をとったら、その点よりはかなり原点のより近くにいると思います。x軸でもy軸でも。
もちろん特にx軸においてはゼロをはさんで越えられない隔たりがありますが、やはり女性的身体の男性と男性的身体の女性がいることは事実。
そういう一つの性の中でさえ存在する"点のズレ"と捉えれば、左下や右上にいる人たちのことも認めやすいのではないかなんて考えます。
x軸とy軸の線を他の線より太くかいてしまうのは仕方ないにせよ、ほかが0.5のボールペンならせめて1.0いや0.7くらいのやつで書いて欲しい。
マッキーの太い方で書くなんてことはすべきじゃないし、それをしたらこの映画で起きたことに繋がってしまうでしょう。

今まで見たどの"性がテーマの映画"より考えさせられました。
うーん、こんなにすごい演技を見ないと考えられないなんて甘すぎるな…まだ…。
ビジュアルって一番わかりやすいじゃないですか。
そんなわかりやすく言われないとわからないんじゃダメですな。どれだけ何気ないこと、ふとしたことで気付けるかってのは最近継続してテーマではあるな。個人的に。

バラッバラのものから共通点だけを抜き出して、名前をつけて、秩序だてるのは知性です。
が、その枠組みに囚われたり、依存したりするのは愚かだな。
知性の産物は使っても使われるなっことか。
わかってたってできないんですよね…簡単には。(again)

性同一性障害とは関係ないし、ふさわしくないシメなのはわかってるけど、面白いから言っちゃうと、
バナナマンの日村が「おれ、女だよ!??」っていうコント思い出しました。
ささ

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