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「めぐりあう時間たち」に投稿された感想・評価

yosaka

yosakaの感想・評価

4.0
映画はよかったのだが、キッドマンの特殊メイクだけは勘弁。どう見ても不自然。
mikinw

mikinwの感想・評価

4.2
three women in different generations

all sad in their own ways
山口路子著「逃避の名言集」という本でこの映画が絶賛されていたので観てみました。

イギリスの作家ヴァージニア・ウルフの執筆した「ダロウェイ夫人」をモチーフに、時代の異なる3人の女性の1日を描いた作品。その女性たちとは、1923年、イギリスのヴァージニア・ウルフ、1951年、ロサンゼルスのローラ、2001年、ニューヨークのクラリッサ。

三人の女性の共通項は「なにかに囚われている」というところだと感じました。ウルフは精神病のためと夫の勧めで都会から離れたところで隔離された生活を送らされているし、ローラは自分のセクシュアリティを押し殺して夫と子供という家庭の檻の中に閉じ込められているし、クラリッサは友人リチャードの介抱に何十年も縛られている。

この映画から察するに、女性はいつの時代も家庭や結婚生活、また「誰かを世話しなければならない」と言う概念に縛られがちで、自由意志で自分の人生を切り開いていくのが難しいのではないかと感じます。「子を持って、母親になって女性は一人前よ」という言葉が劇中出てきますが、そうやって周囲から「女性の理想像」みたいなものを押し付けられ、知らない間に皆が勝手に設置する「理想の壁」に囲まれて逃げ場がなくなります。

そんな状況下でずっと自分を押し殺して、偽り続ける彼女たちの孤独というのは計り知れないものがあります。世間から見た幸せと自分自身が望む幸せは違います。女性という物差しからではなくて、まず一人の人として自分に正直に生きていきたい、そんな女性たちの悲痛な叫びが聞こえました。

最後、三人の女性はそれぞれの形で、その檻から自らを解放していくことになりますが、なかには世間的に許されないようなやり方もあります。しかし、クラリッサだけは最後のリチャードの行動によって、世間的にも非難されることなく、囚われの身を抜け出しました。リチャードはローラの息子にあたりますから、母親と同じ悩みを抱えていた友人のクラリッサ対して、自分が何をしてあげられるか理解したのだと思います。このリチャードの行動は真に愛のある行動だと思いました。

一番身近にいる存在が、理解者になり救いの手になるケースもあれば、より一層その人の孤独を深めることもあることをこの映画から学びました。

深い、傑作。
一貴

一貴の感想・評価

4.2
登場人物達の物憂げな表情が、人には伝えきれない人生の悲しみを表しているよう。

一人溺れるような苦しみの中で、生きた心地を感じないまま受動的に生きるくらいなら、能動的に死を選ぶ。自殺は逃げと思われるかもしれないけど、この映画では自殺の一瞬こそが、主体的に生きた証であるように感じた。

真剣に生きようとするから自殺しちゃうんだろうな。生きるとは。
HxMxYxSx

HxMxYxSxの感想・評価

3.3
2019.12.22
73番

73番の感想・評価

3.3
イギリス文学史を学んでいるから、ウルフと「ダロウェイ夫人」についての予備知識があってよかった

わたしも死にたいって思うこともあるけど、やなことすぐ忘れる性格でよかったなと

ウルフの時代は鬱病の治療が全然進んでいなかったから、誤った治療法がウルフの鬱病を悪化させることになったって先生が言ってた

うまい飯食って寝ろと教えたい
まなか

まなかの感想・評価

5.0

このレビューはネタバレを含みます

死を選ぶ権利はある。それは人権だから。

私は死ぬより生きることを選んだ。

ヴァージニアの姉は実姉なんだろうか。
ヴァージニアの甥っ子たちがさよならも言わず出ていきバカにする様な目でヴァージニアを見ていたシーンで、こいつら知性ないな、と感じた。逆に姪には知性を感じた。

三人に共通することはレズビアンだということを事前に読んでおいてよかった。

ケーキを焼いて子を産むことが一人前の女性とされていた1950年代。

ニコール・キッドマンやメリル・ストリープだけでなく個人的にはローラ役のジュリアン・ムーアもすごかった。

もっと早くに見ていたかった。
傑作過ぎる。
1923年、ロンドン郊外。田舎で療養中の作家ヴァージニア・ウルフは、「ダロウェイ夫人」を執筆している。
1951年、ロサンジェルス。妊娠中の主婦ローラ・ブラウンは、夫の誕生日パーティのため、幼い息子とともにケーキを作り始める。彼女の傍らには「ダロウェイ婦人」が置かれている。
2001年、ニューヨーク。「ダロウェイ夫人」と同じ名前を持つクラリッサ・ヴォーンは、友人であり、エイズ患者である作家リチャードの作品がある賞を受賞したことを祝うパーティの準備に取りかかっている。

物語が進むにつれ明かされる、時を越えた彼女たちの繋がりには圧倒される。

とてもしっかりと作られた、良くできた脚本だと思う。
監督が、「何度も繰り返しみて貰いたい。その都度新しい見方ができるだろう。」と、コメントしていたように、良く読みこむ…観込む(?!)と、もっと楽しめるだろうと思った。

けれども、全体を覆うトーンがとても重く、何回も見返すと自分の心が追い込まれそうな気がするので、短いスパンで観返す勇気が私には無い。
物語全編の後ろでひく~く流れている音楽があまりにも暗く、陰鬱な気持ちになる。
イヤ、良い映画なんですよ。
けどね、エンタテイメントでぱ~っと日頃の憂さを晴らしたい時に間違えてうっかり観ちゃったりなんかしたらもう、テンション下がって具合悪くなりそうな勢い。
イヤ誤解の無いように…面白いんですけどね。

2006年DVD視聴
…実は2019年時点で内容を憶えていない。
もう一度見ようかと思うけれど、陰鬱な気持ちに耐えられるかいな。今^^;
時代の違う女性3人の人間ドラマ。死がテーマだったような気がするけど、早く死ぬわけにはいかない。
初見。字幕。
異なる時代を生きる3人の女性に焦点を当てた人間ドラマ。

物凄く偏差値の高い文学作品に挑戦してる気分でした。ムズイ!
しかも純文学よりという感じで芸術性の高さを狙った遠回しで曖昧な表現が目立つ。
それぞれの女性が生きること、死ぬことに向き合っているということなんでしょうけど、だから何なんだよという形で自分の中では終了してしまった。

説明しすぎない描写というのは時に感動的でより美しいものとなる。でもその波に乗り切れないととたんに退屈なものとなってしまう。
そういうことってたまにあるけど、こういう映画は時間を置いたりして再鑑賞すると違う見方になったりすることも往々にしてある。それに期待するしかなさそう。


とにかく僕の国語力や芸術への読解力がないと言ってしまえばそれまでなんだけど、感覚に突き刺さるものがこの映画にはなかった。