ノットステア

そりと友情のノットステアのレビュー・感想・評価

そりと友情(2016年製作の映画)
3.5
○ブリリアショートショートシアター紹介文
そりと友情 / The Sled 【イタリア/19分】
分断を埋める小さな一歩
Story
【あらすじ】
偏見を持った両親と共に、雪に囲まれた孤立した場所に住む一人の少年。一台の壊れかけのそりが、異なる国と文化を持つ少年二人の友情をつなぐ。
【作品情報】
女優賞の受賞歴がある監督本人が母親役として出演。
監督3作目となる短編映画『A new perspective』が2020年に完成している。
Nov. 30, 2022
そりと友情 / The Sled 【イタリア/19分】
分断を埋める小さな一歩
Story
【あらすじ】
偏見を持った両親と共に、雪に囲まれた孤立した場所に住む一人の少年。一台の壊れかけのそりが、異なる国と文化を持つ少年二人の友情をつなぐ。
【作品情報】
女優賞の受賞歴がある監督本人が母親役として出演。
監督3作目となる短編映画『A new perspective』が2020年に完成している。
Director
Emanuela Ponzano
映画と舞台である時は女優、またある時は監督として活躍。ローマ、パリ、ブリュッセルの3都市を拠点にしている。『The Sled』は自身が監督する2作目の短編フィクション映画。
Info
制作国:イタリア
ジャンル:ドラマ
制作年:2016
上映時間:19:00
配信期間:2022/11/30~2023/3/1
ファーノ国際映画祭 2016 スペシャルメンション受賞(イタリア)、ニュールネッサンス映画祭(イギリス)審査員賞など



○感想
綺麗な映像だった。

以下、ネタバレあり









偏見を持った両親。広場に行きたがる息子に対して、あそこはクズばかりだから行くなと言う父親。
移民と犯罪者を嫌う。

大量の移民は仕事を奪う。
泥棒は財産を奪う。
どちらも同じものとして捉える父親。
悲しいことに気持ちが分からないわけではなかった。もちろん、多様性、寛容さは大事だと思うが、自分たちの今の生活を守りたい、守らなければならないという気持ちから来る不安はどうしようもない気がした。

移民の子が持つソリを見つけ、触る。掌が切れる。
触るな、と怒る移民の子。ソリは壊れているのに。
父親の発言を真似して暴言を吐く息子。

息子派ソリを直す。移民の子は触るなというが、直っていることに気づく。すぐに打ち解ける二人。




この映画を観て思い出したのは、知識人がリベラル(寛容)なのも自分の地位を守るため、というような言葉。

ここから長い引用をする。2019年、『ジョーカー』を観て、パンフレットの宮台真司さんの言葉を読み、そこから派生していろいろ読んだうちの一つ。

文化資本を独占する知的階層の頂点は、どこの国でもリベラル(=寛容)。なぜなら、反リベラルの立場をとると自動的に、政治資本や経済資本を持つ者への権力シフトを来すから。だから、知的階層の頂点は、リベラルであることで自らの権力源泉を増やそうする。

ウダツの上がらぬ知的階層の底辺は、横にズレて政治権力や経済権力と手を結ぼうとする。文化資本から見放された三流知識人たちは、代替的な地位獲得を目指して政治権力者や経済権力者と結託し、リベラル・バッシングによってアカデミック・ハイアラーキーの頂点を叩く。

以下、引用。(長いけど読むと面白かった。)









2006-12-21                                     https://koukandou.hatenadiary.org/entries/2006/12/21
宮台真司「アンチ・リベラル的バックラッシュ現象の背景」
批評
■昔からフランクフルト学派の人たちが言ってきた通りで、権威主義者には弱者が多い。これは統計的に実証できます。私の在職する大学で博士号を取得した田辺俊介君の博士論文『ナショナル・アイデンティティの概念構造の国際比較』(2005)が、ISSP(国際社会調査プログラム)の1995年データを統計解析しています。それによるなら、排外的愛国主義にコミットするのは、日本に限らず、低所得ないし低学歴層に偏ります。
■要は『諸君』『正論』な言説の享受者は、リベラルな論壇誌のそれより、低所得か低学歴だということです。この問題に、私が年来言ってきた「丸山眞男問題」を重ねられます。教育社会学者の竹内洋氏が最近『丸山眞男の時代』(中公新書)を出しましたが、丸山の戦後啓蒙がなにゆえ今日この程度の影響力に甘んじるのかを分析しています。この問いは姜尚中氏との共著『挑発する知』(双風舍)で私が述べたものと同じです。
■その答えを一口で言えば、丸山がインテリの頂点だったために、亜インテリ(竹内氏は疑似インテリと表記しますが)の妬みを買ったから、となります。実は、この図式は、丸山自身が、戦時ファシズムへの流れを翼賛した蓑田胸喜の日本主義的国粋主義の成り立ちを分析して示した図式と同じです。ご存じの通り、丸山はマンハンム流の[知識人/大衆]二元図式を踏まえ、[インテリ/亜インテリ/大衆]三元図式を提案しました。
■丸山眞男によれば、亜インテリこそが諸悪の根源です。日本的近代の齟齬は、すべて亜インテリに起因すると言うのです。亜インテリとは、論壇誌を読んだり政治談義に耽ったりするのを好む割には、高学歴ではなく低学歴、ないしアカデミック・ハイラーキーの低層に位置する者、ということになります。この者たちは、東大法学部教授を頂点とするアカデミック・ハイラーキーの中で、絶えず「煮え湯を飲まされる」存在です。
■竹内氏による記述の洗練を踏まえていえば、文化資本を独占する知的階層の頂点は、どこの国でもリベラルです。なぜなら、反リベラルの立場をとると自動的に、政治資本や経済資本を持つ者への権力シフトを来すからです。だから、知的階層の頂点は、リベラルであることで自らの権力源泉を増やそうとします。だからこそ、ウダツの上がらぬ知的階層の底辺は、横にズレて政治権力や経済権力と手を結ぼうとするというわけです。
■これが、大正・昭和のモダニズムを凋落させた、国士館大学教授・蓑田胸喜的なルサンチマンだというのが丸山の分析です。竹内氏は露骨に言いませんが、読めば分かるように同じ図式を丸山自身に適用する。即ち、丸山の影響力を台無しにさせたのは、『諸君』『正論』や「新しい歴史教科書をつくる会」に集うような三流学者どものルサンチマンだと言うのです。アカデミズムで三流以下の扱いの藤岡信勝とか八木秀次などです。
■要は、文化資本から見放された田吾作たちが、代替的な地位獲得を目指して政治権力者や経済権力者と結託し、リベラル・バッシングによってアカデミック・ハイアラーキーの頂点を叩くという図式です。丸山によれば、戦前の蓑田胸喜による一連の活動がそうしたものの典型です。そして竹内洋によれば、ブント的噴き上がりを田吾作の心情倫理に過ぎぬと断じた丸山も、元ブントを含めた田吾作らによって同じ図式で葬られます。