群青

ONE PIECE FILM REDの群青のレビュー・感想・評価

ONE PIECE FILM RED(2022年製作の映画)
3.2
2022年劇場鑑賞10作目。


今作は公開わずか20日で興行収入は100億を超えた。

これはワンピース映画の中でもかつてないことだし、そもそも原作は連載が25年も続く長寿作品である。近年の原作者監修という担保はあるものの、今になってこれだけの熱狂を持って迎えられるのは作品のバイタリティが凄まじいということ。
改めてこの漫画はバケモノなんだなぁと思い知らされた。

それもこれも表舞台にほとんど出ない、出ても節目節目で数コマしかないシャンクスが大々的にフィーチャーされていること、さらにはそんな彼に娘がいてあまつさえルフィの幼馴染という、今出てくるにしては属性が強すぎるウタというキャラがキーになっているため。
ウタの属性について夢女子が悶絶した、というエピソードに爆笑したのは置いておいて笑、彼女が魅力的であるのは反論の余地はないだろう。

前情報だけでコレなんだから、実際に観てもそれは変わらない。というよりさらに数倍でかいグーパンチを喰らうことになる。まさにエレファントガン笑
ルフィより少し年上で幼い頃から幾度となく勝負をしている。勝つのはウタ(ルフィは自身が勝っていると思っている)で負け惜しみ〜がいつものオチ。
この負け惜しみ〜は劇中何回か出るんだけど、スタッフにほれ、このセリフと仕草はやべえだろ、お前らには効くだろ、と分かっていながら見せつけられている気がする。そしてそれに俺たちはまんまとはまってその可愛さと無邪気さに歯軋りをしてしまう。
スタッフと声優の名塚佳織は鬼畜である笑

しかもこのウタの歌はAdoがしているのも魅力に拍車をかけている。
彼女の自在な声質がまさに悪魔の実の能力を体現しており、劇中の観客とそれを観ている私たち観客さえも文字通りウタワールドに連れていく。
ど頭の新時代は過去にタッグを組んだ中田ヤスタカ。Perfumeやきゃりーぱみゅぱみゅで世界に対抗できる実績が備わっているため、スタジアムという広さにピッタリな派手な曲を持ってくる。
ノリに乗ったロックは若手人気バンドのMrs.グリーンアップルで、泣けるエンディングは秦基博。
各々の作曲者が得意としているジャンルの楽曲提供で布陣は完璧。

ウタが配信で人気になっていくという過程は今らしいし、なんなら歌い手から始まったAdoと全く同じ。Adoの起用が決まってから設定を寄せたのだろうが、とにかくAdoとのシンクロがすごい。
ウタはAdoだし、Adoはウタなのだ。


アクションも要所要所で盛り込んでおり、終盤でのアノ戦いは素晴らしい。一度見ただけでは整理のつかない技の応酬。しかも観た人には分かるであろう、あの人とあの人のコラボはアツすぎる。しっかりシャンクスとルフィも大技を決めるし、ルフィはまだテレビアニメで解禁していないアレをちょい見せしてくれる。
前作スタンピードとは比較にならないエモさで一杯になる。
こんだけやってんのにシャンクスとルフィは顔を合わせていない。両片想いかよ!笑 じれってえなぁ!笑


と、ここまで良かったところを書いたがあまりノレなかったところも結構ある。
こっちが本題か笑


まず、これは身も蓋もないなのは十分わかっているがAdoの声やミュージカルが苦手な人には合わない。
Adoの声はちょっとクセがあり、特に高音の艶っぽさと表現しにくいが歌い手独特の尖った歌い方が特徴的。逆光やウタカタララバイが分かりやすい。というかこの2曲の作曲者もAdoと同じようなニコニコ動画から。なるほどそもそも苦手だった…Vaundyは個人的に好きなんだけどなぁ…

ミュージカルについてはエンディング除いて劇中に6曲流れる。最初こそ新時代が流れる時は映画館で観て良かったと思えるような音圧と派手さだったが、それから2曲目、3曲目とその度に話が止まり歌パートになる。これだけ多いとまた歌か…と感じてしまった。

脚本も甘々でたとえばルフィがバケツ程度の量の水をかけられてへたれこむ。かけられたくらいで弱体化はしないはず…あと回想の挟み方がすごく下手で、何かあるたびにあれはあの時、と語られる。原作漫画で感じるような回想に続く回想で、確かにシャンクスとウタの過去、ルフィとウタの過去、舞台となるエレジアの過去、これらを語らなければならないのはわかるがもうちょっとスマートにやって欲しかった。

音楽も一言言いたい。
今作は劇伴も中田ヤスタカがやっているが、これが単純に貧弱。特に感じたのが赤犬がなんか喋った時にポワーンと曲的に派手なんだけど楽器?というかとにかく音の質がチープ。
シーンとシーンで曲がパタンと変わっていた気がする。ここは海軍のテーマ、一方こっちの味方側は、みたいな感じだった。
劇伴はシームレスなのが大切なのだがそれがないせいで感情をうまくシーンに乗せられない。単純に気持ちよくない。
劇伴は今まで通り田中公平にして欲しかった。中田ヤスタカのZのオープニングはかっこよかったのに。


敵の設定も作中の世界観のリアリティからは少し外れているような気がする。抽象的な存在でオカルトすぎる。関係ないが呪われた聖剣の敵も同じような設定であり、こちらも映画シリーズの中で浮いていると思うのはオレだけか。


肝心のストーリーも賛否両論。というかこのストーリーが今作の評価の分かれ目になるのは間違いない。

ウタの掲げる新時代とルフィの考える新時代がぶつかり合う。ウタはウタで自分にできることを真正面からやり遂げようとしただけなのだが、それがいかんせん具合が悪い。
歌は人の情緒に訴えかけるツールとして最適だが、それが最大限発揮されるのはそういう歌を聞いている時だけ。悪い言い方をすると一種の逃避ともとれる。
歌を聴いている時だけ心が安らぐというのが、そのまま今回のウタがやろうとしたことと同じであるため、こんなに居心地の悪いことはない。

しかも作中世界の一般市民は側からみるとルフィたちのような海賊たちのせいで危険にさらされているわけで、そんな世界から逃避する世界か海賊が依然として跋扈する現実とどちらかを選べ、というのは酷なのではないか。
この世に生きてこそ、という価値観をウタのアンチテーゼであるルフィは打ち出せていない、というか語る機会を逸してしまっているため、観る人によっては見て見ぬ振りとも受け取られる。
辛うじて市民側がそれじゃ意味ないから現実に戻りたいと言っているが、それはあくまでこのままは嫌だからという意見でありカウンターにはなっていない。

海軍や海賊に守ってもらっている市民は幸せではないか、という問いに対しては海軍のバックの世界政府がアレなのは周知の通りだし、ルフィや白ひげが島をナワバリ扱いするのは仮想敵に対する抑止であって、海賊によっては恐怖で支配することでもあるため、これも答えにはなっていない。
例えばホールケーキアイランドは寿命を捧げることで安全を確保している…

要はウタの掲げる新時代は居心地が悪いしかといってそれに対する答えもない、しかもラストはアレのため振り上げた拳を下ろせず宙ぶらりんな気持ちで終わってしまうのが一番の問題。

というか終始ルフィはウタに対して戦うのではなく話すことで解決しようてしている。実際、最初は仲間が捕まったのに気が乗らねえとさえ言っている。
今まで一直線だったルフィ自身がぶっ飛ばすのではなく対話で解決しようとしているというの珍しくもあり同時にむず痒さも感じるのもこの作品の居心地の悪さに繋がっていると思う。

救いがあるとすればエンディング。
先程は歌が一種の逃避とも言えると書いたが、歌は同時に祈りでもあることを明示している。
ウタの新時代に対する祈りはみんなに伝わっている、と信じたい。


もうちょっと景気良く観たかった、というのが本音かなあ。Zは渋さが売りだったしZの野望とルフィの野望のぶつかり合いだから筋は通っている。
こっちは同じようなシリアスでも筋に筋で返せていない気がする。


原作者が過去の伝説の男は描き疲れたので女性をというところから始まった企画としては多くの面でメリットがあったが、心の奥深いところまでは届ききらない、そんな煮え切らなさを感じた作品だった。
今作のシャンクスと同じですわ…


原作も最終章に入ったし映画としてはこれが最後かな?
まさかラストエピソードを映画化はしないだろう。かといって次作るテーマが思いつかんな…
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