kuro

ハケンアニメ!のkuroのネタバレレビュー・内容・結末

ハケンアニメ!(2022年製作の映画)
2.7

このレビューはネタバレを含みます

有科さんは最後に王子監督殴るべきだった。

ハケンアニメはそのタイトルが嫌いで,元ネタはネットでの深夜アニメの円盤売上をめぐる外野の戯れ言でしかない。それをさも業界全体で語っているかのように取り扱うことでゆがみが生じている。

今回は天才ともてはやされた監督と新人監督とが夕方アニメの同日同一時間帯放送のアニメを制作することで,覇権を巡って争うということになっているが,そもそもどちらの監督も自分の作品が届くことで救われるひとがいるという確信に従っているだけなのでそこがチグハグ。なぜか新人監督斎藤瞳は「覇権とります」と宣言してしまう。これはたぶん行城Pが仕組んだのだろう。彼の話題になるために貪欲なんどもやるという姿勢はプロデューサーとしては間違っていない。ただ監督の身体は1つしかないし,1日は24時間しかないという制約条件を考慮しているとは言いがたい。

監督・プロデューサー全員言葉が足りない。作劇の都合ともいえるが,序盤斎藤監督が色指定できないところは専門用語の不足だけど,群野にディレクションなしにNGだけ出すところは監督の権限だけ振り回して,仕事をしていない。
ホテルで缶詰になることを黙って嘘までついた王子監督,放送局から「王子監督に任せた」と言質を取れない有科P,育成のためと伝えず予定を詰め込む行城Pと誰もが言葉を尽くしていない。

覇権とは視聴率なのか円盤の売り上げなのかが明言されることない。序盤では視聴率争いで,それが最後のCパートでは円盤の予約数になっている。なぜか視聴率争いで「2%差」などと表記されているが,百分率の差はポイントで表すべきである。視聴率争いのシーンでは,リデルライトが上手,サウンドバックが下手に配置されているが,それ以前の対談ではぎ逆の配置になっていた。もともとリデルライトが優位のはずなのに,主人公側を上手に配置していたことを視聴率では逆にするというズレが気になった。

斎藤監督も王子監督もどちらも刺さるアニメをつくりたいので,似たもの同士で,アニメ制作に関しては違いがない。対談のシーンで王子監督の質問で斎藤監督の作品紹介が進んでいくところなどは二人が対立する関係ではなく同じ立場にあることが示されていた。そのため,作品制作の動機は同じだし,作品制作過程でどちらもリテイク出すと2作品を取り上げても同じエピソードが繰り返されるところはダレてしまう。斎藤監督は作品で主人公から記憶を奪い,王子監督は主人公を死なせなかった。どちらも初期構想からズレた最終回に着地させたのだが,微妙な差であって,対比的な結末というほどではない。

新人斎藤監督を起用した行城Pは,監督を独り立ちさせるために制作以外の宣伝やグッズ監修などの仕事にも組み込んでいたと後でわかるのだが,セリフで説明されるだけ。

王子監督を起用した有科Pは前半では放送局側につるし上げをくらい,後半はリテイクで制作会社に頭を下げる。王子監督に惚れ込んだからこそ無理難題に立ち向かっている。この二人のプロデューサーの違いのほうが,映画のストーリーの対比としては深掘りしてもよかったのではないだろうか。

この映画,「雨の中走って転倒する」「廊下を制作陣が横並びで歩く」といった邦画の悪い癖がでてくる。中でも最終回放送後に王子監督と有科Pがタクシーの後部座席に並んで座って,王子監督が「結婚してあげてもいい」というセリフが最悪だった。そこで「監督業だけやっとれ」と有科Pが殴ればまだ救われたが,あれがちょっといい話に見せるような引きはせっかくのお仕事映画を台無しにした。

神作画の並澤さんのデートからのアニメ雑誌表紙制作話や秩父市観光課職員との関わりとか本筋に関係するわけでもないわりに長い。

SHIROBAKOを観ていて,現実のアニメの制作現場の問題点を抱えているところなどいろいろ思うところがある者にとっては上述した欠点を超えて刺さるところはあるのだが,これって「食い物にされている」とも言える。
kuro

kuro