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ふたりの女、ひとつの宿命のnetfilmsのレビュー・感想・評価

ふたりの女、ひとつの宿命(1980年製作の映画)
3.8
 1936年、裕福な暮らしを送るスィルビア(モノノ・リリ)は不妊症に悩んでいるが、老い先短い父は彼女に子供と家柄の存続を託し、静かに命を引き取る。彼女には貧乏な家柄の親友イレーン(イザベル・ユペール)がおり、思いあぐねた彼女は親友に、自身の夫アーコシュと寝ることで、子供を作ってくれないかと持ち掛ける。そうしてくれるならば彼女は交換条件として、芸術家である彼女をタニマチとして支援すると持ち掛けるのだ。ここで行われる2人の女性の応答は、『アダプション ある母と娘の記録』よりも数歩、踏み込んだものとなる。まず仰々しいアヴァン・タイトルに紐付けられた圧倒的な劇判(スコア)の美しさが大河的で、東欧映画の底力に心底参ってしまう。彼女たち2人はずっと仲良くしていた間柄だが、野心はあるが貧乏なイレーンにあなたがこの家の子供を産んでくれたら最高に嬉しいわと真顔で話す。当初はスィルビアのその問い掛けに消極的な反応を示していたイレーンだったが、アーコシュの求愛は単なる子種を作る為の目論みには思えない真に情熱的な求愛にイレーンの心は揺れる。

 この辺りの猪突猛進スタイルは『ナイン・マンス』にも観られたが、ハンガリー人男性の釣った魚に餌をやらない姿勢もまたいかにも男性主体社会に生きるハンガリー人らしい。然しながらモーションをかけて来た相手が素っ気無い態度を取った時のイザベル・ユペールが剪定はさみで花びらを一枚ずつ切り落とす様子の狂気にも似た情念は、東欧映画の歴史に残る名場面に違いない。狂気にも似た共犯関係を生んだ、1人の男とイレーンが生み落とした子供を巡る歪な三角関係はやはり、悲劇的な結末にしか向かいようがない。「私は私」という態度を取るのはここではイレーンの方であり、家族と家柄に縛られ、愛する夫の感情すら奪われたスィルビアの半狂乱に陥る姿は妙に胸に残る。自分が不妊症に生まれてしまったあまり、このような代理出産を行わねばならぬ羽目に陥った彼女の運命も哀れだが、最初から親友と旦那を結び付けることはなかったのではと思ってしまう。後半の不幸な運命と、連行されるイレーンの瞳と真に挑発的なフリーズ・フレーム。双取りしたかに見える女の運命もまた実に儚いものに見える。
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