耶馬英彦

百花の耶馬英彦のレビュー・感想・評価

百花(2022年製作の映画)
4.0
 シューマンの「トロイメライ」が何度も演奏される。繰り返されるのは音楽だけではない。様々なシーンが細部を少しずつ変化させて繰り返される。徐々に光が増幅されて、真実を映し出すようになる。スパイラル構造のリフレインが本作品のストーリーを形作っているのだ。そして光が増幅されると同時に、影も濃くなる。

 母と息子は孤独な人生を送ってきた。それぞれの記憶がそれぞれの人生だ。記憶は個人ごとに異なっているから、同じ出来事でも、自分から見るのと他人から見るのとでは異なっている。そこに自分と他者との越え難い溝がある。
 しかし時々、同じことで喜ぶことがある。本作品ではそれも繰り返される。同じ思い出を懐かしんだり、同じ曲が好きだったり、同じ花を見て美しいと思ったりする。しかしあるとき、気がつく。同じものを見ているはずでも、実は人によって見え方が異なっている。人と人とは完全に解り合えることはないのだ。息子にとって封印したい思い出は、母親にとっては人生で最も楽しかった思い出かもしれない。

 誰も他人の人生を生きることはできないし、他人の死を死ぬこともできない。ただ生きている間に他人と心の通う瞬間がある。あるいはそのように錯覚することがある。その記憶は花のように鮮やかに生き続ける。ときどき買ってきては牛乳瓶に飾る一輪挿しも、長い年月の記憶の中では、時空を超えて集まり、咲き乱れるのだ。

 よく出来た作品である。花と花火と音楽のリフレインで、母と息子のそれぞれの光と影を見事に照らし出してみせた。
耶馬英彦

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